アメリカのヴィタミン

必要があって、アメリカのヴィタミン剤の販売の歴史についての優れた研究書を読む。文献は、Apple, Rima D., Vitamania: Vitamins in American Culture (New Brunshwick, NJ.: Rutgers University Press, 1996).

1910年代からのヴィタミン研究の流れに乗って、ヴィタミンは急速にアメリカの市場の中に入って行った。ヴィタミン製剤(というのかな)は、1920年代から40年代にかけて売り上げが急増して、1925年には薬品全体の売上の0.1%にすぎなかったものが、1939年には11.7%まで上昇した。その時の力学を分析した優れた書物で、科学的に研究開発された商品が大衆消費の中に入っていく道筋と、そこで発生した問題を明らかにした、パイオニア的な研究書である。

冒頭は広告のレトリックの分析で、もともとヴィタミン欠乏症で深刻な病気にはかかっていない中産階級の人々にヴィタミン商品を買わせるためのレトリックが論じられている。このあたりの筆致も優れている。また、1920年代のウィスコンシン大学の農業化学者のヴィタミンD研究の経緯から、彼が州から研究費をもらって研究しているにもかかわらず、研究の成果を特許にしようとしたこと。彼の狙いは非倫理的な企業が特許を取るのを防ぐために、自らが特許を取って公益のために研究成果を使うことであった。そのためにウィスコンシン大学に特許を申請し管理する組織を作った。その組織は、後にヴィタミン研究を利用するライセンスを「クエイカー・オーツ」やイーラリ・リリーなどに与えたが、ウィスコンシン州の牧畜産業にとってライヴァルであるマーガリンの会社には与えないという狡猾さも見せた。

また、ヴィタミン剤を誰が・どのように売るかという点も争点になった。それは薬として薬剤師・ドラッグストアが売ることができるのか、それとも食品として食料品店が売ることができるのか。この争いは、訴訟に発展し、処方をする医師や、安い価格で提供することの公益を重んじる組織なども巻き込んだ複雑な構造の論争となった。ヴィタミン製造・販売者にもいくつかのタイプがあり、そのうち大企業で正統的な科学研究や他のプレイヤーと融和して売り上げを伸ばしたMiles社 と、小企業で特異な科学研究で単品生産をしていた Pannett社 の比較も洗練されていた。