呉茂一『ギリシア神話』

もうひとつ飛行機の中の映画がらみの話題。

飛行機の中で『タイタンの戦い』を観た。特殊効果とかSFXは機内の極小の画面で見ても迫力があるけれども、ストーリーがあまりに貧しい。思想的には、アメリカの田舎の青年が世界の中心に言ってセルフ・ヘルプで成功する物語が背骨にある。フランク・シナトラの New York, New York だと思っていい。その思想で、ギリシア神話のペルセウスの話を語っているから、違和感は当然ある。それだけでなく、私が知っているペルセウスの物語と大きく違っていた。まなざしを浴びたものを石化させるメドゥーサと戦って倒した話、その首を使って他の敵を石化させた話、鎖に繋がれたアンドロメダを救う話などは、私が知っている英雄ペルセウスの話だったけれども、私が知らない話がたくさん詰め込まれていた。この映画のペルセウスはセルフ・ヘルプだから、神からの助けを拒み続け、人間として偉業を成し遂げたいと主張している。だから、神々の介入も助けもなく、隠れ兜も鏡の楯もないのは、もともとそういう設定なのだから、それはまあいい。けれども、なぜこのペルセウスは、アンドロメダと結ばれるのではなくて、イーオーと結ばれるのだろう? それから、ハデスがゼウスに逆らう戦いをしたとか、ペルセウスがハデスに立ち向かうとか、そんな話あったっけ? というか、ギリシア神話として、ありえるの?

あまりに不安になったから、家に帰ってから、呉茂一『ギリシア神話』のペルセウスの項目を読んでみた。やっぱり私の記憶はそんなに間違っていなかった。(憶えていないことが多かったけど 笑)この映画のペルセウス像は、標準的なペルセウス像から、大きく外れた部分があるけれども、これは、別の神話に従っているのか、それとも、勝手につぎはぎしてストーリーを変更しているのだろうか。

呉茂一を読んで、一つ面白いことを知った。ゼウスの愛人のイーオーに嫉妬したヘーラーが、イーオーにゼウスが近付かないように番人をつけておいた。これが、全身の千の目を持ち、決して眠ることがないアルゴスである。この決して眠らぬアルゴスには別名があって、それが「パノプテース」である。そうか、空間よりも時間的な概念の「パノプティコン」だったのか。