幕末の流行病と死亡への影響

必要があって、過去帳を使った江戸時代の死亡の研究を読む。文献は、菊池万雄「回向院過去帳」『日本大学理学部自然科学研究所研究紀要』5(1970), 1-29.

私は自分ではやってみたことはないけれども、寺院に残っている過去帳を利用して死亡のパターンの研究ができることはよく知られている。この論文は、東両国の「回向院」、(論文執筆当時)墨田区文化一丁目「明源寺」、寺島「法泉寺」などの過去帳を集計したものである。

色々面白いことが分かって、たとえばそれぞれの過去帳のグラフを見ると、ききん、コレラ、麻疹の年には、開始時平均に対して超過死亡が150以上にはねあがっている。飢饉と急性感染症によって死亡超過が出るという、疫病の時代の特徴を示している。それから、文久二年のコレラというのが、安政のコレラに較べたときに知られていないけれども重要ではないかという指摘がされている。その年のほうが死亡が大きく出ている寺もあるという。あとは、武家と町人の死亡の対比だけれども、これも面白いデータがワンピースあった。武家と町人とその他の死亡の比率は全体でみると33:61:9だが、コレラの年には、24:72:4になる。コレラはくっきりと階級に反応している。ちなみに、安政の地震のときには、40:52:8 と、むしろ武家のほうに死者が多くなる。このデータ、お持ちかえらせていただきます(笑)

トリヴィアをひとつ。この回向院は明暦三年にいわゆる振り袖火事で死亡したものの冥福を祈るために設立されたものであり、無縁仏を受け入れる寺であった。そのためか、犬や猫も命日が記され戒名が与えられていたという。