『グレイの解剖学』

書籍を出版社からいただいて、『グレイの解剖学』の誕生を語った書物を読む。Richardson, Ruth, ルース・リチャードソン『グレイ解剖学の誕生―二人のヘンリーの1858年』矢野真千子訳(東京:東洋書林、2010)著者は、今ではシカゴ大から出版されている Death, Dissection, and Destitute という名著の著者。

Gray’s Anatomyは近代の解剖学を代表する教科書である。1858年の初版から現在まで改訂を重ねながら40版を重ね、医学教育の代名詞にもなっている。この現在も生きている記念碑である教科書の初版が出るときのもようを研究した書物である。テキストを書いたグレイだけではなく、図版を作成したカーター、出版社、印刷工、そしてモデルとなった死体たちに光が当てられている。

きっと、こう書くと、医学史の研究者を除くと、歴史に興味がある解剖学者と19世紀イギリスの研究者の他にはこの書物に興味を持つ人の数はとても少ないと思う。しかし、この書物は、リチャードソンの第二の名著である。

まず、医学史を志す研究者が必ず読まなければならない書物である。医学史における緻密で質が高いリサーチとはどのようなものかという「スタンダードを知る」、質が高いリサーチをすると何が分かるのかという「可能性を知る」こと、そして、そのリサーチを可能にしているのはどのような研究条件であり社会なのかという「研究の文脈を知る」こと。これらは、実際にそういうリサーチをした書物を読んで、それを自分で試みないと分からない。日本語で読める医学史の研究書でいうと、理論的な側面についてはフーコーをはじめ高いスタンダードや可能性を知ることができるが、そうでない医学史研究においては、質の高いリサーチを実感させてくれる著作がなかなか目に止まらない。健康調査の資料や精神病院の患者名簿をデータベース化して得意になっている医学史の研究者は、この本の著者の爪の垢を煎じて飲むべきである。これは本気で書いていることですから、(笑)はつけません。

第二に、そういう書物が、なんと読みやすいことか。こなれた文体に、流れるように進むナラティヴ、そして必要な時だけ明晰な形で出てくる理論。

『グレイの解剖学』の主な主人公は二人。一人はヘンリ・グレイ。ロンドン指折りのセント・ジョージ病院の若きホープ。裕福な家庭に生まれ、当時の医学界の有力者の庇護を受けて、優れた科学論文を書いて若手向けの学術賞を次々と受けながら、貴族の侍医にもなり、医学者・医者として成功しようとしている野心家が目指した一大プロジェクトが新しい解剖学書であった。もう一人はヘンリー・カーター。グレイよりも4歳年下で、学資に苦労している。父親の影響で画がうまい。福音派のキリスト教徒で、自分の運命と人生の意味についての深い疑いを不安を抱きながら勉学している。内気で、輝くようなキャリアを歩んでいるグレイには両面的な感情を持っている。『グレイの解剖学』のイラストを全て描いて、イギリスを去ってインドに行って医学校の教授となって一生をすごす。

この二人の主人公に、出版社、印刷所、そして、リチャードソンならでは、この解剖学書の「モデル」たち―すなわち死体たちが主人公になった章をそれぞれ一つずつ書いている。いずれの章もすばらしい。ヒストリオグラフィの問題でも、もともと学術書ではないから、理論をあれこれ書きはしないが、ギルマン以来の画像資料の分析、19世紀の視覚文化、出版・印刷技術などマテリアル・カルチャーへの注目、19世紀の医学教育の改革などが背景にあり、ここぞというところでは、それらを前景に出した議論をしている。そして、この歴史書は、翻訳で読んでももっとも文学的に優れた構成を持っている。

最後に、この書物のリサーチを可能にしているイギリスの医学の世界、医学史の研究者たち、イギリスの歴史学者たち、そしてイギリスという社会に思いをはせて、私は、何回か目頭が熱くなったことを書き添えておきます。