デンマークのショック療法

新着雑誌から、20世紀デンマークの精神医療におけるショック療法についての論文を読む。文献は、Kragh, Jesper Vaczy, “Shock Therapy in Danish Psychiatry”, Medical History, 84(2010), 341-364.

20世紀精神医学におけるショック療法を再評価しようという動きが歴史学者の間でも精神科医の間でもこの20年くらい鮮明になってきている。医学史家の中でこの動きの中心にいるのは多産な実力者で『精神医学の歴史』が翻訳もされているEdward Shorter で、最近、David Healy と組んで、ECT(電気ショック療法)は効果があるから、抗うつ薬ではなく、ECTを使うべきであると主張する「アドヴォカシーとしての医学史」を発表した。ショ―タ―らのアドヴォカシーとしての医学史というのは、現代社会における医学史の機能は何かという問いについての単純明快な解答であると同時に、ここで簡単には触れられない本質的な大問題を含んでいて、私はまだ答えられないというか、考えたことがない。

この論文は、近年の医学史の一つの本流の立場(ショ―タ―の言葉を使うと<ウェルカム学派>)から、ショ―タ―流の研究に対する確かな批判をし、明確なオールタナティヴを示したものになっている。特に、歴史的なデータをアドヴォカシーのために使うこと、そして出版された医学論文を主たる史料としてものを言う態度に対しては、はっきりと注意が喚起されている。全体に静かで「地味な」トーンの論文だけれども、ショ―タ―とぜひ読み比べていただきたい。

話は1930年代からデンマークの公立精神病院に導入されたショック療法の実施である。日本ではあまり使われなかった(と思う)カージアゾル・ショック療法が実際の臨床でどのように使われたことを調べている。使う史料の主たるものは症例記録(いわゆるカルテ)である。なお、カージアゾル・ショックというのは、カージアゾルを注射すると数分でショックがあり、患者は何度も痙攣するから、事故がないようにベッドに縛り付けたり全力で押さえつけたりするものだが、たとえばインシュリン・ショックに較べると、それでも実施は簡単なのだという。

この痙攣がおきる前のまだ意識があるときに、魂が抜け出すような、筆舌に尽くしがたい恐怖を感じる。この恐怖を利用して、患者と取引する例もあった。「いい子にしていればカージアゾル療法をかけない」という形で、患者に問題行動を起こさせないようにしたケースが二例紹介されている。(結局、この二例はどちらも最終的にはロボトミーされて、カージアゾルの恐怖は有効ではなかった。)このようなショック療法の利用は、処罰として用いられる方向にも道を開いていた。ショックは、患者にとって治療でもあったと同時に、医者が手にしてしまった治療の名目で使うことができる処罰の手段であった。ショック療法は確かに病気を治すのに「効いた」かもしれないが、患者が自発的に治療を受けるときのハードルを非常に高くした。治療は医者の命令で行われるものになった。この状況に向精神薬が登場したときに、患者の意思を尊重した精神医療ができるようになったというまとめは、確かに事態の一面を的確に捉えている。

なお、カージアゾルを取引の道具として使うことも、それを分裂病だけでなく、荒れた症状を示す患者には精神病質に対して使うことも、同時代の医学論文や教科書には書いていないことである。

現在、ショ―タ―やヒーリーだけでなく、うつ病にECTを使うべきだと主張する医者たちは多い。うつ病をクリーンに治す治療法がないまま悲劇が起きている事実、ECTについての偏見的な見解がメディアによって増幅されていることに苛立っているのは分かる。しかし、「ECTは効く」というデータを出版された医学論文に引用されている治療率などから引いて、その復活のアドヴォカシーを唱えるショーターたちの方法論では捉えられない、精神医療における医者―患者関係の構造という、とても重要な問題があることを、この論文は教えてくれる。