疫病は江戸のどこで起きたか

しばらく前に買った富士川游編『杏林叢書』を眺めていたら、今考えているテーマについて使える引用があったので、忘れないように書いておく。文献は、森立之『遊相医話』富士川游編『杏林叢書』上・下・復刻版(京都:思文閣、1976)、下巻315-440.

疫病がどこで起きてどのように広がるかという問題である。『医心方』の編纂で有名な森立之は幕末期にこのように書いている。

疫邪は最初は多く海浜下、湿臭が穢ならしい地や、宿の場末の乞う客が泊るような店、邸内の召使部屋、都の大通りから枝分かれした路の小屋に発して、そこから大きな家に波及する。このことは、『三因方』に、「疫が起きる場所は、流れず淀むような溝渠、死気が鬱勃と多い土地である」と記されているが、もっともなことである。

海辺の低湿地、ミアズマの臭いが立ち込めるような地、貧困層が泊るような安宿、館の中でもむさくるしい召使部屋や、都会の陋巷の地などから、疫邪が発するという考えである。召使部屋のことはよくわからないが、ここで語られている疫病のトポグラフィーは、明治期のコレラのそれとあまり変わらない。ここからは想像だけど、『三因方』という有名な12世紀の中国医書にも書いてあるというのだから、こういう知覚は、日本の医者の間で少なくとも潜在的には長いことあったのだろう。文政・安政・明治のコレラがそれを顕在化させたのかな。