『人狼伝説』

必要があって、ヨーロッパの人狼伝説を採集した19世紀の古典を読む。もとは 1865年に出版されたThe book of werewolves というタイトル。これは翻訳されていて、セイバイン・ヘアリング=グールド『人狼伝説 変身と人食いの迷信について』ウェルズ恵子・清水千香子訳(京都:人文書院、2009)

ヨーロッパの各地に残っている民間伝承や神話、歴史記録などから、人間が狼に変身してほかの人間を殺して食うという伝承を集めて解説した書物。ただの好古的・怪奇趣味の本でないことは、冒頭近くの言明でもわかる。「人狼が絶滅したというのか。エチオピア、アジアにいる、あるいは、ハンウェルやべスレムにいるかもしれないのに。」このハンウェルやべスレムというのは当時有名だった精神病院である。その患者たちが、自分たちは人狼だと思っているというのだが、これは、ただの妄想ではない。人狼という「神話のヴェール」の下には事実が横たわっているのであって、それは先天的な血の欲望である。ある種の人びとの性質に根差したもので、普通の状態では抑制されているが、時に幻覚症状をともなって爆発し、それが人食いにつながる。場合によっては人肉を食べず、ただの残虐行為だけのこともある。つまり精神病院の患者の妄想と民間伝承は、ある種の人間の心に実在する衝動と欲望をあらわにしているのである。 11

アイスランドやノルウェーには「アイギ・アインハフ」という言葉がある。「同じ皮膚を持たない人」という意味で、オオカミの毛皮をかぶっている。しかし、それを狼と区別するのはその「目」である。その目は獣のものではない。(ここには同時代の精神医学の表情論をひびかせることができる。)『サガ』では、皮という意味や習慣という意味になる「ハマ」という語が、人狼になるという意味でつかわれ、そこから狂気という意味にもなった。(皮をかぶる、習慣というあたらしい人格の外皮を身につける、人狼になる、狂気になるという意味のつながりに注意。) 22

デモノロジーの著作で知られているピエール・ド・ランクルが伝えるジャン・グルニエは、悪魔にそそのかされて残虐な行為をしたと告白した男である。この書物は、この例を長々と紹介し、このような男は「精神病院の閂をぶちこわすかもしれない」と添えている。85-95.

残虐さと洗練の関係も、面白い。一方で、子供や野蛮人を残虐だとして、それを抑制することが文明であるという古典的な見方もある。しかし、歴史上の残虐な人物は、ネロ、カリギュラ、ボルジア、ロベスピエールなどは、いずれも繊細で、好みや作法は優雅な人物であった。何かが起きるまで残酷さは表に現れないが、ひとたび顕現すると、「燃え盛る光の中で爆発する」とある。 126.