昭和東北の大凶作

必要があって、昭和東北の大凶作を紹介した書物に目を通す。文献は、山下文男『昭和東北大凶作―娘身売りと欠食児童』(秋田:無明舎出版、2001)

1931年に農村のまゆ価格が半値に下落しコメの価格も暴落した。農家の収入は激減し、農村恐慌となった。生活苦にたえかねた農家は、娘を子守女・女中・紡績女工・「醜業婦」などに奉公させて前借りをし、1931年には秋田県では約一万人の15歳未満の離村女子があらわれた。名目上は醜業婦でなくても、かなりの数が苦界に流れていった。1932年の東京日日の記事によると、7000人の娼妓のうち、876人の山形を筆頭に、東北六県と北海道をあわせると娼妓の4割6分を占めていた。娘に「身売り」をさせる親が多かったので、あっせん業者の買い手市場になり、前借の額もガタ落ちしてしまった。1934年には三陸大津波と室戸台風がそれぞれ3000人あまりの死者を出した。

42-43 著者の家には400円程度の借金があり、これは平均よりも少ないほうであった。この借金のかなりの部分は家に病人が出て医者にかかった費用であった。病気になると医者が馬に乗って山を二つ越えて往診し、その費用は一回につき3-5円になったという。