長い「性の革命」

必要があって、2世紀間にわたるイギリスの性と避妊の歴史を通じて、「性の革命」を論じた書物を読む。文献は、Cook, Hera, Long Sexual Revolution: English Women, Sex, and Contraception 1800-1975 (Oxford: Oxford University Press, 2004).

イギリスの歴史学の一つの特徴になっている歴史人口学の成果の上に、社会史と文化史の方法を取り込んだ書物。「性の革命」を歴史学者が論じると、性の解放を唱えた思想家や文学者や活動家などにスポットライトを当てることが多い。本書は、それらも論じているが、最終的な基盤になるのは、歴史人口学から明らかにされた初婚年齢や、推測された性交の頻度などである。(私にはどういう操作をするかわからないが、歴史人口学上のデータから性交頻度を推測することはよく行われているらしい。)そのようなデータを使うと、「長い持続」の中で性の革命をとらえることができるというメリットがあり、また、性の思想家たちが、どのような実態を背景にして自らの思想を語ったかということを調べることができる。もちろん、これは純粋な歴史人口学の本ではないから、社会史・文化史・政治史の資料も縦横に駆使している。圧倒的にすぐれた本だと思う。

特に、ピルの導入に関する部分を集中的に読んだ。1960年代は、その同時代人たちによってピルがもたらした「性の革命」と、女性の自由な雰囲気があふれる時期と捉えられていたが、ジェフリー・ウィークスやジェイン・ルイスなどのマルクス主義系の歴史学者たちは、その流れを否定して、むしろ国家による女性の性の管理が強まっていったというシナリオを説いたという。そういった左翼リヴィジョニズム系の解釈を再批判して、やはり60年代には「性の革命」があったという結論を導いている。私にはもちろん是非は判断できないが、本書の議論に説得力と魅力があることは間違いない。

本書はさまざまな面白い議論を使っているが、一つ、とても面白かったのが、「虚偽意識」という意味での、「イデオロギー」にまつわる議論が非常に面白かったのでちょっと私の解釈を入れてメモしておく。セックスは穢れた行為であり、その穢れは出産という祝福によってのみ清められるというのが教会の公式のイデオロギーであった。もちろん、これは現実とかけ離れていた。それよりも現実に近いイデオロギーに、セックスは結婚の中でのみ許されるというものがある。このイデオロギーは拡大解釈されて、結婚が決まった相手との婚前性交は大目に見られていた。しかし、婚前性交の結果妊娠してしまい、しかも、その子供の父親が前言を翻して(あるいはもともと結婚するつもりはなくて)、結婚をしないと、このイデオロギーが発動して、その女性は「ふしだらな女」という烙印を押される。私的に行われていたセックスが妊娠というあらわな形をとり、その妊娠に妥当な形を与えられないと、結婚によってセックスを正当化するイデオロギーが発動するのである。

このイデオロギーと闘うときには、もちろんいくつかの方法がある。一つは、D.H. ロレンスのように(チャタレイ裁判はピル導入の前年に行われた)、愛によって性交を正当化すること。二人の間だけに存在する固く神聖な愛は結婚という社会制度よりも強いという方向に流れる。ロレンスは大きなインパクトを持ったが、彼の思想は、結婚原理主義という、現実に適合しないあるイデオロギーにかえて、神聖な愛情原理主義という、これも現実に適合しないイデオロギーを持ち出したことになる。神聖で永遠不滅の愛情によって結ばれている二人だけがセックスをすることを許されているという思想は、ベッドトークとしては、きわめてすぐれた傾聴に値するものだが、現実の社会を律するものとしては、キリスト教の生殖至上主義と同じくらい現実離れしている。

もう一つの方法は、セックスは、それが結婚や愛のような重要な何かによって正当化される必要はなくて、それだけで良いものだと言ってしまうことである。快感が善であるのはあたりまえではないか。その快感に神の祝福がなくても、永遠の愛に結びついていなくても、あるいはそれがうつろうものでも、それによって自分を含めてだれも傷つくのでなければ、それでいいと開き直ればいい。そうすると、セックスは、美味しいものを食べたり、スポーツをしたりすることと同じ水準の行為になる。それは、結婚やロレンスの愛から切り離され、ある意味で重要性を減じたものになる。これは、キリスト教や伝統社会やロレンスのイデオロギーに較べて、はるかに現実に合っている。より正確に言うと、この考えはイデオロギーの名に値しないから、何かの逸脱を裁いたり、何かと闘ったりするのには役に立たない。

この本は、すごく面白くてためになる。かなりテクニカルな内容だから、翻訳することにかなりのメリットもあると思う。