移民と資本主義と精神病院

必要があって、移民と精神病院の関係を資本主義にからめて実証歴史研究をしようとした論文をチェックする。文献は、Adair, Richard, Joseph Melling and Bill Forsythe, “Migration, Family Structure and Pauper Lunacy in Victorian England: Admissions to the Devon County Pauper Lunatic Asylum, 184-1900”, Continuity and Change, 12(1997), 373-401.

欧米では19世紀に確立して20世紀の後半に消えた「精神病院」という制度は、なぜ発生したかという問いは、1980年代から、特にイギリスの歴史学者たちの関心の中心だった。もちろん、それを作ろうと思った人たちがいたわけで、それらの医者や改革者たちの意図を調べることから本格的な研究が始まった。しかし、精神病院を作ったところで、それを利用する人がいないと精神病院は機能しないし、精神病院なり警察なり救貧法なりが、社会から狂人を狩りだして精神病院に閉じ込めていたという、ナチスの強制収容所のようなモデルは、実際の精神病院への入院が機能していた姿と大きく違う。精神病院は、家庭や共同体から「押し出されてきた」患者を、病院の中に「引き込んだ」のであって、いわゆるプッシュとプルの双方の力が働いて成立したものであった。

となると、問題は、プッシュを作りだしていた力は何かということになる。それを、家庭と共同体のトレランスの低下に求め、さらにその背後にあるのが、社会的な靭帯を侵食した資本主義の力であるという議論を展開したのがアンドリュー・スカルである。スカルはポランニーの枠組みを使って、「存在の商品化」が労働できない人間に対する社会のトレランスを低下させるという議論を組み立てた。

驚くべきことに(笑)、このタイプの議論を精神病院の入院データを使って実証する研究が現れた。精神病院の入院記録には住所などが書いてあるが、その地域に定住している労働者が強い結びつきを作ったと考えられている地域からは精神病院への入院の割合が低く、その逆に地域住民の靭帯が弱いと考えられる、一時的な移民が多い地域では精神病院への入院の割合が高いというような議論である。

前置きがだいぶ長くなったが、このような産業化による社会変動が、精神病院への収容にどのような影響を持ったかという問いを、人口学の方法を用いた緻密で大規模なリサーチによって解決しようとしたのが、このチームである。方法は、精神病院の入院患者約15,000人について(!)データベースをつくり、そこからサンプリングして患者の名前から国勢調査のデータをたどって「名寄せ」をして、移民の状況と家族構成を調べるというものである。大学院生やポスドクたちの個別の独創的な工夫と小規模なデータでものをいうのに慣れていた私たちにとって、このエクゼターのチームの研究の登場は、「はっきりいって」複雑な感情を呼び起こした。それは別にして、このチームが今後長くつかわれるベンチマークとなる仕事をしたことは否定のしようがない。そして、データは、スカルの議論とは正反対の結果だった。移動距離も短く、定住的な性格が強い地域のほうが、精神病院により多く入っているのである。

・・・ある意味で、私たちというか、少なくとも私を金縛りにかけた結果だった。ここから出てくる結論は、私が思うに、精神病院は、機能していない社会からこぼれた人間を閉じ込めた空間ではなくて、機能している社会が選んだ問題解決の方法であるということである。