無名の明治海外留学の医師たち

同じく新着雑誌より。明治末までに外国に渡航した日本人医師763名についてのプロソポグラフィ。文献は、Donzé, Pierre-Yves, “Studies Abroad by Japanese Doctors: a Prosopographic Analysis of the Nameless Practitioners”, Social History of Medicine, 23(2010), 244-260.

明治初期と末期では、留学した医者たちに大きな変化がある。1880-9年をみると、この期間には81名、留学開始の年齢は26.6歳で5.3年、それが1900-1912年になると、487人留学していて、33歳で3.7年留学するようになる。つまり、若い学生が医学を基礎から組織的に長い時間をかけて学んだのに対し、いちど日本の大学で医学の基礎を学び終えた学生が臨床の専門科のスキルアップのために留学した。かつては理論的なベルリン大学が人気があったが、この人たちには実用的なミュンヘン大学が人気が出た。帰国のあとのキャリアだけれども、これは、厳密に年代別の分類ではなくて公費・私費別の分類になっていて、公費留学は63%が大学や医学校の教員になり、19%が軍にはいっている。一方、私費は、70%以上が病院・開業となっている。医者のキャリアパスの作り方で、先端的な学術的な医学の地で研修・卒後研修してから、専門医として民間の病院に入り、お金をためて開業するというパターンがあるが、それと同じような卒後研修の機会を、外国の大学が提供したことになる。明治後期になると、留学が開業・私的病院でのキャリアパスに使われたという指摘は、少なくとも私には新しかった。