古井由吉『聖・栖』

皆さま、あけましておめでとうございます。今年もよろしく。

冬休みに読む本ということで、今年は、古井由吉を読もうということになっている。というわけで、古井由吉『聖・栖』を読む。新潮文庫から。

「聖」と「栖」の二つの物語が収められていて、どちらも東京出身の若い男「岩崎」と深い山村の出身の「佐枝」が主人公である。「聖」の舞台は一度東京に出て帰ってきた佐枝の故郷の村で、「栖」は二人が同棲を始めた東京郊外の新開地のアパートが舞台である。「聖」は、佐枝の村の土俗的な慣習「墓掘り乞食」を題材にしている。この習慣は、死人が出た時にはそれを村はずれの共同墓地に運んで埋葬する仕事をしている「聖」あるいは「墓掘り乞食」と呼ばれる男を、村に一人やしなっておくというものである。この聖には、ふらっと村にやってきた流浪のものが選ばれる。岩崎は、山歩きをしていて、たまたまあるお堂で一夜を明かしたところ、それがかつて墓掘り乞食が棲むことになっていたお堂で、そのことをきっかけに佐枝に、今にも死にそうな祖母のために「聖」の仕事をしてくれないかと頼まれる。祖母がどうしても「聖」に背負われて村はずれの川をわたった共同墓地に埋められたいというのだ。岩崎は、かつての聖たちがそうだったように、佐枝が食い物と酒を運んできて振る舞い、また、歴代の聖の何人かが村の女を犯したように、佐枝と関係を持つ。佐枝が祖母のこと聖のことを話すのに引き込まれるように、岩崎は村の記憶の世界へと入っていく。

その後日談が「栖」である。「聖」で描かれた事件のあとに、佐枝は再び東京に出て、岩崎と会って関係を結ぶ。空虚な情感の中の性に、中絶の記憶(そのうち一度は「聖」の事件での岩崎との関係の結果できた子供である)がかぶさるような流れの中で、佐枝は岩崎の子供を宿し、佐枝が人目を避けるように暮らしているアパートでの同棲・結婚が始まる。妊娠はおおまかにいって順調に進み子供が生まれるが、佐枝の会話は次第に現実から遊離し始め、彼女は自分の世界の中に引きこもるようになる。岩崎は佐枝の精神の異常に気付きながら、その妄想に合わせることで事態の悪化を防ごうとするが、そうすることで彼も佐枝の妄想世界に入っていく。二人で二人の狂気を作り上げていく、長いねっとりとしたような描写が、この作品で一番読み応えがある部分だろう。佐枝の部屋には、まるで鈍器のように妄想が根をおろし、それが岩崎の行動をいちいちふさいでいく。佐枝は医者にもらった薬を捨て、あばれて岩崎に取り押さえられ、アパートの床の上で背中をたわめて硬直させる「ヒステリー弓」の姿勢をとる。引越しするのだと言って荷物を詰めた段ボール箱はアパートの扉の前に置かれて、出入りを拒む。かろうじて二人して狂気の深淵に落ちる寸前でふみとどまった岩崎は、佐枝が精神病棟の閉鎖病棟に連れ去られるのを見る。

「栖」は「濃密」という表現がぴったりな独特の文体で、佐枝の精神病がじわじわと深まっていくのを、それに拒絶されながら共犯する岩崎の視点で書いた部分が圧倒的な存在感を持っている。私が古井由吉の仕事を最初に読んだのはモダニスト文学の翻訳で、モダニスト芸術は、言語や絵画などの表現手段の本質をあらわにするために精神病の現象、特に分裂病の初期症状にあらわれる世界に対する違和感と同じものを表現したという説を聞いたことがある。(Saas, Madness and Modernism)