『視覚的説明』

一連のTufte ものの別の本を読む。文献は、Tufte, Edward, Visual Explanations: Images and Quantities, Evidence and Narrative (Chesire, Connecticut: Graphic Press, 1997).

この書物は特に印象が強かった。自分がよく知っている素材をもとに、クリアで鮮明な議論が作られていたので。ロバート・バートン『憂鬱の解剖』や、絵本の『ぞうのババール』もそうだけれども、冒頭におかれたスノウのブロード・ストリート・ポンプについての説明は、「頭が良い」学者に特有の明晰さがあった。

1854年の夏にロンドンのブロード・ストリート近辺でコレラの爆発的な流行があって100人程度の死亡があったこと。そのデータを中央死亡登録局からあつめたこと。<そのデータから一番自然に出てくるのは時系列にする表示の仕方であったこと。>スノウはブロード・ストリートのポンプの汚染を疑ったが、病原体も見つかっていない当時においては、もちろん病原など発見できなかったこと。しかし、その周辺の地図に死者をプロットしてドットマップをつくってみると、そのドットがあるポンプを中心に集まっていることがわかること。そうすると、時間を変数とした時系列分析ではなくて、<他の水道会社が供給しているポンプや井戸>という別の変数を空間上におとしたセクショナルなデータ処理をすることになる。

ここに書いてあることはもちろん全て知っていたことだけれども、その書き口、概念の並べ方、言葉の選択に明晰さと流れがある。特に、時間を変数とした分析と、水道会社単位の空間を変数とした分析を対比させるあたり、言われてみれば当たり前だし、スノウを読んだ人なら「そんなことは知っていた」というのは簡単である。しかし、そこに重要なロジックがあることを明晰に書ける学者が「頭が良い」学者である。私は、スノウを読んだ時には気づかなかったけれども、タフトの記述を読んで、東京のコレラ流行について、とても大事なことに気がつくことができた。