『野鳥雑記』

今日は無駄話。 

趣味と言うほどではないが、私は野鳥を見る。野鳥の会の探鳥会に出たり、双眼鏡をのぞいてはフィールドガイドと見較べたり、庭の木に巣箱を掛けたり、鳥に関する自然誌の本を熱心に読む。外国に旅行したときでも、電車の窓から鳥がいる風景を見ているし、機会があれば鳥がいそうなところまで散歩する。外国人と話すときに、その国の鳥や自然誌の話をすると盛り上がるというのは、文明国に共通した会話術だと思う。 

最近、柳田国男の「野鳥雑記」が岩波文庫に入ったので喜んで買った。全国から集めた、鳥の名前についての言い伝えや、鳥のさえずりの「ききなし」についての博覧強記に、おかしみがある洞察を混ぜた文章が楽しい。柳田らしい心の底の夕闇色の記憶に働きかけるような―それを作り上げるような、かもしれない―洞察も冴えている。かつての村では、子供と老人のみが夕刻に時間をもてあましていたこと、その時に寂しい声で鳴く鳥たちについての伝承が多く伝えられていることが、妙に説得力を持って語られている。(トラツグミの声を実際に聞いたことがある人にはよくわかる話だと思う。)

登場する鳥たちは、バードウォッチングをする人には馴染みが深い鳥が多いけれども、現在の日本人の鳥についてのリテラシーは壊滅的な状態だから、鳥を見ない人たちにはピンとこない文章が多いかもしれない。(ついでに、もう一つ壊滅しているのが色のリテラシーだと思う。注意して聞いてみると、俳句や短歌をしている人は別にして、クレヨン12色以外の色を会話の中で的確に使える日本人はとても少ない。私も、もちろん使えませんよ。)「解説」は室井光広という作家によるもの。柳田の散文の分析のような内容で、それはそれでいいのかもしれないが、私が期待していた、野草と野鳥についてある程度の知識を持った書き手が書く解説ではなかったので、ちょっと残念だった。

カワセミについて。「水豊かなる関東の丘の陰に居住する者の快楽の一つは、しばしばこの鳥の姿を見ることである。あの声あの飛び方の奇抜なるは別として、その羽毛の彩色に至っては、確かに等倫を絶している。これは疑う処もなく熱帯雨林の天然から、小さき一断片の飛び散ってここにあるものである。」

この鳥が池の金魚をくわえて飛んでいくことについて。「僕が楚人冠であったら、土工の許す限りまず庭中に幾つもの池をうがち、水を浅く面を広々として、安物の数物の大和金魚をその中にうんと放し、少なくとも下総一国のカワセミが評判を聞いて集まりきたり、赤い金魚をくわえて右往左往すること、あたかも友禅の染文様のごとくなることを飽かず眺め興じたであろう。」