月岡芳年



必要があって、明治の浮世絵師、月岡芳年についての本を眺める。文献は、『月岡芳年五十年忌記念展覧会目録』(慶応義塾、1941); 高橋誠一郎監修・瀬木慎一編集『最後の浮世絵師-最初の劇画家 月岡芳年の全貌展』(東京:西武美術館、1977); 横尾忠則編『芳年-狂貌の神々』(東京:里文出版、1989); 早野泰造『近世の呪縛-サディズムの精神史』(東京:牧野出版、1986)

月岡芳年は、天保10(1839)年に生まれ、明治25(1892)年に没している。浮世絵師として多産な人生の中で、精神病のエピソードは二回あり、一回目は明治5年で、これは「強度の神経衰弱」と記されている。二回目は、最晩年の明治24-5年で、酒のために脳を病むなどと書いてある。後の松沢に移転した東京府の精神病院の巣鴨病院に入院し、小松川の別の精神病院に移るが、治療せずに退院し、その一ヵ月後の6月9日に自宅(仮寓)で死去する。

作品は、血にまみれたような残酷なものが著名である。文化文政・幕末以来の血なまぐさい主題を継承したことに加えて、戊辰戦争彰義隊の乱で、それまではある意味で想像の中の絵空事であった戦闘や死を直接に知ったことがこのような作品に影響を与えているのだろう。彰義隊の乱では、画帳を持って戦死者の顔をスケッチして歩いたというし、砲弾が飛ぶ線から構成されているような「川中島の大合戦」には、近代技術の洗礼を経た武者絵という感じがする。それと関係があるのだろうけれども、他の領域でも、残酷なサディズムと不気味さが混淆したすぐれた仕事を残している。明治18年の「奥州安達が原ひとつ家図」は、裸にされて轡をかまされた臨月の妊婦が逆さ吊りにされ、その下で鬼婆が包丁を研ぐ姿を描き、伊藤秋雨にひきつがれて日本の土着サディズムの原型となった有名な作品である。このように、血への渇きとサディズムを感じさせる作品がある一方で、別の主題を追った作品も多い。『月百姿』の静謐さと大胆さを同居させた構図は素晴らしい。さまざまな妖怪を描いた『新形三十六怪撰』(「新形」は当時の言葉で妖怪を意味した「神経」に通ずる)は、この世界の法則から自由な変化を洒脱に描いて余情があり、『風俗三十二相』の美人たちは、「熱い」「痒い」といった感覚を女性の身体を通じて表現した傑作である。

・・・作品は素晴らしいんだけれども、これで勝手に狂気を論じてはいけないという思いがある。精神病というのは、たしかに曖昧さを残している疾患概念だけれども、だからといって、「狂気」という言葉を乱用して好きなことを言っていいわけではない。これらの書物には、由良君美先生や、松岡正剛山口昌男中沢新一といったスターが書いていたし、医学史関係では野口武彦が書いていたけれども、私にはもどかしさが残った。特に、精神医学者たちがサディズムの病跡学風のものを書いていたのは、「何をいい加減なことを」という苛立ちすら感じた。