後期中世の「舞踏狂」

必要があって、中世から近世の「奇矯な行動」の医学的な解釈を読む。文献は、Hecker, Justus Friedrich Carl, The Epidemics of the Middle Ages, translated by Benjamin Guy Babington (London: Truebner & Co., 1859).

著者は黒死病の研究で有名な19世紀ドイツの医学者である。彼の「中世の流行病」は英語には三部作として出版され、一つは黒死病、もう一つは16世紀の Sweat と呼ばれた発汗病、もう一つが、「舞踏狂」であり、英訳では The Dancing Mania と訳されている。それと同じような趣向で、「少年十字軍」の例が、精神病や神経症の集団発病として論じられている。19世紀前半のヨーロッパの医学が、過去の現象をどのように「医学化」したかということを教えてくれる。

たとえば、1374年の7月にエクス・ラ・シャペルで観察された、人々が突然集まって、無意識のまま忘我状態になって踊り続ける現象は、すぐにオランダやベルギー、あるいはケルンなどに広がった。ケルンでは500人、メッツでは1100人の踊り手が観察された。農夫は鋤を捨て、職人は仕事場を離れ、妻は家事を放り出してその踊りに参加した。そこではひそかな欲望がかきたてられ、もっとも毒々しい形で実現された。乞食たちは、悪徳と窮乏に刺激されて、これを使っていっときの生計を立てようとした。少年少女は親の元、召使は主人のもとを離れ、感染の毒が心に吸い取られるままになった。未婚の女たちも、狂ったような振る舞いに身を任せた。怠惰な浮浪者たちは、本当に罹っている人々の身の振りと痙攣を真似することを憶え、生計を立てて冒険を楽しむために、あちこちの街を回り、この忌々しい痙攣病を悪疫のように広めた。というのは、この狂乱の病気は、実際の病気によっても、それとみせかけたものによっても、同じように感染されるからである。

イタリアで広まった病気は「毒蜘蛛」(タラントゥラ)によって噛まれて舞踏し続けるという触れ込みで有名になった。これに噛まれたときの舞踏狂を治すという主題の音楽を、有名なアタナシウス・キルヒャーが作曲している。Youtube で Kircher Tarantula で検索して聴いてみたら、たしかに、薬が心を鎮静するかのような調べだった。
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