清野謙次と帝国支配

必要があって、いただいた書物に入っている論文を読む。文献は、アルノ・ナンタ「大日本帝国の形質人類学を問い直す―清野謙次の日本民族混血論」坂野徹・慎蒼健『帝国の視覚/死角』(東京:青弓社、2010), 53-79.

19世紀以来の人類学という学問を、国民国家と帝国という二つの政治体の中に位置づけ、日本の代表的人類学者のひとりである清野謙次の日本人混血論を、帝国の成立、とくに朝鮮との関係に位置づけた論考。

かつてはコロボックル―アイヌ―渡来した日本人というように、侵略をともなう民族交代のメカニズムか、いったん成立したあと民族交代がなかったという連続説か、どちらかで捉えられていた日本人の起源論が、1920年代にはうまくいかなくなる。これは、朝鮮を軸にした日本の東アジア帝国が成立し、朝鮮とのあいだで日朝同族論を主張して植民地化を維持しなければならなくなったからである。植民地帝国と同化政策が加速した時期には、混血論でなければならない。