「非西洋医学」について

必要があって、「非西洋医学」についての面白い考察を読んだ。文献は、Alter, Joseph, “Rethinking the History of Medicine in Asia: Hakim Mohammed Said and the Society for the Promotion of Eastern Medicine”, Journal of Asian Studies, 67(2008), 1165-1186.

医学について何かを考えたことがある人は誰でも気が付いていると思うけれども、医学の体系とかシステムと呼ばれているものを指す名辞はとても使いにくい。「漢方医学」という言葉は明治期に日本人が作ったもので、この言葉を中国の医学に使えないだろうし、江戸時代の古方派や後世派などの医学を指すのに使うのもしっくりこない。同じような複雑な事情はほかの非西洋医学や前近代の西洋医学にも存在している。「ギリシア医学」は、ギリシアで行われていたヒポクラテス派の医学にもっとも重要な起源をもつという意味で、そういう呼び方をするのは正しいが、その広がりはギリシアをはるかに超えている。しかし、ギリシアに起源をもつといえる医学ならばどこでもギリシア医学というかというと、そうはいかない。たとえば、アラブ・イスラム圏で行われている「ユナニ医学」というのは、それを翻訳すると「ギリシア医学」という意味だが、私たちは(というか世界では)それを「ギリシア医学」とは呼ばずに「ユナニ医学」という。日本の「漢方医学」も、ほぼ「中国の医学」という意味だが、それを「中国医学」とは言わないのと似ている。

つまり、現在用いられている医学の体系の呼び方というのは、植民地時代やポスト植民地時代に、その医学が実際に行われていた範囲よりも、より文化的・政治的に厳密な境界で区切って成立させて名前をつけたものである。すなわち、医学の体系という考え方には、ナショナリズムが色濃く反映しているのである。

たとえば、漢方医学の歴史は、それがいかに日本「独自の」医学になったかという視点で占められている。大塚敬節は、岩波の日本思想体系の医学の説明を、「中国医学の日本的脱皮は曲直瀬道三にはじまり、吉益東洞で完成する」512というセリフではじめている。