『医事或問』

同じく、日本思想体系『近代科学(下)』から、吉益東洞の論争的・弁護的な著作を読む。

古方派は、病は毒によってもたらされ、一方で薬は毒であり、治療とは毒をもって毒を攻めると称して、峻烈な薬(多くは下剤らしい)を用いた。それとともに、患者の生死については、それは医者があずからないことであるという立場もとった。このため、古方派は、峻烈な薬を用いて、患者の命をしばしば危険にさらすから、あるいは場合によっては実際の患者が命を落とすこともあるから、その予防線を張り言い訳をするために「生死を知らず」という立場をとるのか、と批判されていた。これは、ほかの学派との戦いというより、同じ古方派の中でも、東洞とほかの医者たちが論争していた。350-353.

ここには、医者にとっての広義の倫理学であり、行動の方針のようなものが現れている。医者が患者の生死に縛られずに、その問題から切り離されたところに医術の目標を設定することは、やはり不思議である。同時代の思想というか、医師たちがそれに頼って身分制社会の思想の中での定まった位置を得たいと望んでいたことの影響があるだろうか。それとも、素人考えだと、儒学と結びついて発展した武士の倫理との関係があるのだろうか。

風・寒・暑・湿・燥・火の六気は、体を傷って病を起こすといわれているが、東洞はこれに反対する。その反対の理由が面白い。これらの六気は天のもので、天の正令(命令)である。これが人を傷るわけがない。もしそのようなことがあるとしたら、天の私である。天下万民が、ことごとく六気のうちに生まれ、朝夕あたらぬ人はないが、あるものはそれに傷られ、あるものは傷られない。これは、傷られるものを天が罰しているわけではない。また、もし、天が罰しているとしたら、それを薬で治せるわけがない。これらは、気に傷られるのではなく、問題は、毒なのである。

天地人は変わらないからこそ、それに問うて医療のよしあしを決めるという経験主義にもあったが、ここでも、天は平等であり、ある特定の人を理由もなく病気にして罰するわけがないという思想から出発して、問題なのは、個人の体の毒なのであるという理論を展開している。気候などを共有している一つの地域においては、病気は自己責任になるという思想ということになるのかしら。