坂口安吾『狂人遺書』

狂人遺書』は、精神に失調をきたした晩年の秀吉の思いを一人称で語った作品である。戦後の歴史小説は、太平洋戦争の記憶を朝鮮出兵に重ねて戦争についての反省を文学化することが多いが、この作品も、秀吉の朝鮮出兵の狂気に、戦争の記憶を重ねる仕掛けを持っている。朝鮮出兵と、栄養失調と「朝鮮へ兵を送る前後から、巷ではオレを狂人と噂していることも知っている。子が死んだので発狂して出兵したと大名どもまで心に思うていることも察している。それも事実かもしれぬ。オレにはオレのことが何よりわからなくなってしまった。」という、自己の狂気をうっすらと意識し、人がそう評判していることも知っている人物が書いたという設定である。病床では、秀頼が泣いている夢と、朝鮮の兵隊の幽霊の夢、何万という幽霊の夢をみる。そこには、威勢が良い躁状態での安請け合いがあり、自惚れと空想がある。「例の気分がニョロニュロと大鎌首をもたげる」と、その気分に呑み込まれるように大饒舌を展開する。鶴松が死んだあと、幻聴が聞こえる。それは百姓の言葉であり、「太閤も、あのザマでは、もうだめだな」「せっかく日本を平定したが、海の外の朝鮮に力のとどかないのが運のつき」「お前の悲しみも病気も治った。新しい日がひらけてくる。大明征伐に行け。大手をふるって大明征伐に!」「お前は桃太郎になった!鶴松がお前に宿ったのだ。日本一の桃太郎だ!」「日本関白桃太郎!」という声が聞こえる。

安吾の個人的な経験も関係あるのだろう。