アラビアン・ナイト



ドイルに登場する人物である女性がリチャード・バートンに憧れているという設定だったので、バートン訳の『アラビアン・ナイト』(ちくま文庫)を取り出して読んでみた。実は、いま気が付いたのが訳者の大場正史の貢献である。バートンの注釈は、特に性に関するものについては非常に詳細で直截的なことで有名で、これは本文と同じくらい(場合によってはそれ以上に)読み応えがあるが、大場の訳も、バートンの注に対する補足が非常に多い力作である。

バートンは「グーンジ」という言葉に触れて、それまでの訳者はこの言葉を誤解しているか、説明を省いている。この語は、性交中に体を動かす術を意味し、東洋全体でしとやかな女ですらも好んでこれを行う。この性交術を教える書物を彼女らはたくさんもっている。中国には若い女にこうした運動を教える教師(たいてい老婆)がいる。 5-574

同じくバートンが性行為の持続時間について述べていること。性行為の延引prolongatiovenerisは、イムサック(射精を抑え、止めること)で、回教徒が大いに研鑽を怠らぬものである。家庭薬に対する東洋の書物は、ふたつの部分からなり、第一部は一般の処方を、第二部は媚薬、特に快楽を伸ばす催淫剤を扱っている。『アナンガ・ランガ』は、女の欲情激発を早め、男のオーガズムを遅らせるために、内用または外用として、用いられるおびただしい処方をあげている。その中のあるものはきわめて珍奇である。抑制術の神髄は、筋肉の過度の緊張を避け、気持ちを他にそらすことで、したがってヒンズー教徒は性交中にシャーベット水を飲み、ビンロウジの実を噛み、煙草さえ飲んだりする。この術やわざをかえりみないヨーロッパ人は、20分以内では満足の得られないヒンズー教徒の女によって軽蔑され、村の雄鶏に比較される。彼女らは生来それほど冷たいわけで、また、たしかに菜食のため、さらに興奮剤の不使用のため、その傾向が助長されているである。だからまた、多くのヨーロッパ人は「土地の女」と何年も同棲し、子供まで生んでいながら、決して女たちに愛されないのである―少なくともわたしは女に愛された例を一度も聞いたことがない。

ちなみに「冷たい」というのは、バートンが語るセクソロジーの揺るがぬ基盤である体液論の発想である。生殖に必要な卵を出すためには、刺激によって体液を熱くしなければならず、その任に堪えない男性は生殖ができない役立たずというロジックだろう。

前にも書いたけれども、私が持っているアラビアン・ナイトの挿絵は古沢岩美によるもので、オリジナルは慶應義塾大学の図書館が所蔵しているとのこと。