『きりひと讃歌』

必要があって、手塚治虫きりひと讃歌』を読み直す。私は、漫画のリテラシーがとても低く、傑作といわれている『ベルばら』のような漫画でも、正直、何を評価すればいいのか分からないことが多いけれども、この作品は、病気と医療を主題にした漫画の傑作だと思う。20世紀後半の日本の医療が抱えていたとされる問題を、これほど豊かに描きこんで一つの作品として成立させているものは想像できない。医学史でも医療社会学でも、学部生に読ませて導入に使うのに、きっと理想的なものだろう。今話題になっているJIN のような漫画も、同じくらい傑作なのかしら。

話はかなり複雑である。基本は、四国の山深い僻地の村にある奇病で、その病気にかかるとまるで犬のような姿になって死んでいく病気「モンモウ病」が主題である。それに対比されるのが、最先端の設備を持つ大学病院の医局の若い医者の小山内桐人で、彼が主人公になる。もともとは大学病院でモンモウ病の患者をみていたが、教授の陰謀で生体実験の実験台になるために四国の村に調査に行かされ、そこでその病気にかかり、「犬男」として奇形扱いされて人々におそれられ、台湾に連れて行かれて見世物にされたりして、脱出して中東で医療を行ったりする。話のもう一つの起点は、当時アパルトヘイト政策を敷いていた南アフリカで、そこの鉱山の黒人労働者にモンモウ病と同じものが見られていた。白人はこの病気に罹らないと信じられていたが、ある修道院の尼僧が罹患する。(この人種的に違う病気への感受性というテーマは、ハワイのハンセン病にもあらわれて、それをチェックするのが読み直しの目的だった。)このショッキングな事態を知った修道院長は、白人が罹患した事実を葬るために彼女を殺そうとするが、学会で南アフリカを訪れていた小山内の同僚に助けられて、彼女は日本にいって大学病院に入院する。あとは、権力の亡者の医学部教授、医師会の会長選挙、彼らと改革派の青年医師たちとの抗争、マスコミへのプレスレリース、病因をめぐる論争、日本における医学部の格差など、当時の医学と医学部が抱えていた問題が詰め込まれて描かれている。