エジプト聖刻文字

ヴィヴィアン・デイヴィス『エジプト聖刻文字』矢島文夫監訳(東京:学芸書林、1996)

大英博物館が出している Reading the Past という双書の一冊である。この双書には、翻訳されていないかもしれないけれども、Mathematics and measurement という、古代数学を扱った冊子もある。これはまだ大英博物館と図書館が同じ建物の中にあったときに、大英図書館に通うついでに博物館の展示を見ることができて、その時にミュージアム・ショップで買ったものである。その本はすばらしかった。

この本は、エジプトのヒエログリフの初歩についての入門書である。紀元前5世紀までには、聖刻文字の読み書き能力は消滅していた。古代文字は普通の文字体系ではなく、象徴的で秘められた意味を持っているという神秘化がおきていた。たとえば3世紀のプロティノスは、一つ一つの絵が、一種の悟りと知恵をあらわし、事物の本質について伝授された真の知識を表していると考えた。4-5世紀のホラポッポンによる『ヒエログリュピカ』は、そのモデルで聖刻文字を「解読」した。このような神秘化された意味を象徴するという考えは、ルネサンス期にはキルヒャーの空想的な読み方に代表される。18世紀には、聖刻文字は中国の漢字と同じであるという説を展開したフランス人の学者もいた。しかし、このフランス人は、カルトゥーシュに王の名前が書いてあるという、「のちに重要になる」手がかりを発見した。実は、キルヒャーも、読み方についてはでたらめだったけれども、コプト語をヨーロッパに伝えたことにより、のちの読み解きに大きな貢献をすることになる

18世紀の末に、誰もが知る「ロゼッタ・ストーン」が発見された。おそらく、大英博物館の有名な展示物の中で、もっとも地味なものだろう。その前のトマス・ヤングの表音文字説を手掛かりに、「プトレマイオス」「クレオパトラ」という名前に注目してシャンポリオンがとうとう暗号を破って読み解いた。キルヒャーコプト語も、シャンポリオンの勝利の重要なてがかりになった。

この話を、小学生のころ、子供向けの読み物で、胸を躍らせながら読んだ。まずいことに(笑)、これとほぼ同じ時期に私はエドガー・ポオの『黄金虫』も読んだ。羊皮紙の暗号から、記号の発言頻度をもとにして暗号をやぶり、そこに書かれた宝を掘りあてる話である。そのため、二重罹患というのかな、私は一年ほど、暗号を作ったり解いたりするまねごとをして過ごしていた。いまでも、ときどき、インダスの文字を読み解いてみたいなあとか、そういう妄想を持つことがある。