戦時日本の移民の生政治

古屋芳雄・舘稔『近代戦と体力人口』(東京:創元社、1944)

古屋芳雄は戦時の人口政策のための研究の中心にいた人物である。単なる病気の治療や予防でなく、出生・死亡・体力・健康といった問題を軸に、日本とその帝国における人口の配置に関する発言を続けた、戦前日本の「生政治」の中心人物であった。彼が移民論に触れている箇所を抜書きする。

「繰り返して言う。英仏の敗北はこの国の人々の生活の中に百年以上にわたってしみ込んだ自由主義と個人主義のためでる。」179

大東亜をどのように建設するべきか。それが民族精神の喪失とならぬようにするにはどうしたらよいか。単なる大東亜のみではなく、大東亜の中心たるべき皇国民族自体にある。これを、遠心に優れた人物を配すること、つまり、皇国を遠ざかるほど皇国に対する思慕と愛情を増し、二世・三世の代にいたっても日本精神を保持しうる人口配置が必要である。フランス人やオランダ人は結婚もするし民族の差別をしないのに信望が薄く、結婚はせずに距離をおいて狡猾なイギリス人がなぜ評判がいいのか。混血の問題は重要である。「筆者は切言する。他民族の心を迎えることに汲々とするより、その地域に配置される自らの国民がその日本精神を失わぬように指導せよ」188

日本国民はどこの世界に進出してもいつも立派な日本国民であり、何年たっても旺盛なる国家意識を持つ。必要なのは、南方に進駐する人々の日本国土への定期的帰還、交流制度である。二世・三世については、精神的にどこの国民か分からなくなることが極めて多いのであるから、これを日本国土に伴わしめ、幼少の時代の数年を内地の教育機関に収容せしめ、厳格なる軍隊教育に似た教育を行う必要がある。189

特に南方に移民した日本人が現地の「土人」と区別がつかないような醜態をさらしていることは、1941年にはすでに報告されていた。このことは、日本人が持つとされた気候馴化の能力の裏返しであった。日本人が持つ、現地の気候に順応できるフレキシブルな生理は、有利にはたらく半面で、そのアイデンティティの保持を脅かすものであった。にこの問題に対処することは、移民の<生政治>の中心であった。古屋もその流れで、規律と鍛錬による日本人性の保持を論じているのである。