江戸時代の精神医学論

山田光胤「江戸時代の精神医学における一本堂―『行余医言』巻五」『日本医史学雑誌』16(1970), 180-189.
山田照胤「江戸時代精神病の治療に用いられた吐方(その二 喜多村良宅の治療について)」『日本医史学雑誌』9)1958), 38-46. 
山田照胤「中神琴渓の精神病の治療に就て」『日本医史学雑誌』6(1955), 49-55.
喜多村良宅の『吐方論』において、吐方を用いて、多くの「狂」と「癇」(精神病と神経症にあたると説明されていた)を治療し、その症例を記している。
「日本橋四日市の雅右衛門の妹は発病後二十年を経ても、さまざまな医方、妙薬も効なく、万策尽きてこのところ数年間は放置してあった。年齢37,8歳、身体はやせ、皮膚は垢だらけで、手に丸いものを持ち、言語は不明瞭で意が通じない。これは身体も衰弱しており、病期も経過しすぎているのですでに治療の時期を失したかと思ったが、いまだに眼光の鋭いことのみを頼りにして、瓜帯散でわずかに吐し、薬物を兼用したところ、わずかながら回復の兆候が見えたので、吐剤を漸増し約4年間の間に春秋ごとに吐方を百回余り行い、毎回粘稠な液体二升あまりを吐かしめた。その量があまりに多いので家人が驚くほどであった。その結果症状は非常に改善された。」