『カジノ・ロワイヤル』

今日はツタヤで借りたジェイムズ・ボンドもののDVDを観ての無駄話。自分で意外に詳しいと思っているのが、オリヴィア・ニュートン=ジョンとジェイムズ・ボンドである。大学生のころ、原作のイアン・フレミングの小説をよく読んだせいだと思う。

ジェイムズ・ボンドは、原作でも映画でも、基本は、美人の女と寝て、悪人の男を殺すキャラクターである。速い車に乗って高級な生活をするということもあるけれども、それは表面に出てくる部分であり、それを真似してボンドの真似をしていると思うと悲しい。私たちが、「ドライ・マティニをシェイクしないでステアして」といってみても、ボンドにはなれない。というか、むしろ遠ざかる。

映画のボンドは、この作品を見た後で考え直してみると、ショーン・コネリー以来、わりと楽観的で余裕があるキャラクターに作られてきた。私はきちんと観ていないけれども、ロジャー・ムーアに始まって、おバカな感じすらするキャラになった時代も長かった。それに比べて、今回のダニエル・クレイグのボンドは、ハードボイルドな作りになった。強くて女にもてるオバカな主人公の時代はもちろん去った。

それだけではなく、ボンドが美人の女性と寝ると、その女は必ず死ぬ。ボンドが寝た女性の死亡率は高いが、ダニエル・クレイグのボンドのガールフレンドの致死率は、二つの映画のトータルで100%だと言われている。(別の数え方をすると少し下がるが、それでも75%である。)しかも、彼女たちの死は、原油のなかでピクルスのようになるなどの無残な殺され方をするか、心に苦いものが突き刺さるような死に方をする。

悪人を殺す時も、それはそれはおぞましい。クリーンに殺すのではなく、格闘の中で首を絞めて殺すとか、洗面台に頭をつけて窒息死させるとか、苦痛と暴力が全面に出ている。今回の映画の、ボンドの睾丸を強打していためつける拷問は、まさか本当に映画化されるとは思わなかった残虐なシーンになっている。

しかも、女と寝て、その女が敵に殺されるたり、本来は生け捕りにして情報を吐かせたい男を殺したりすると、そのたびごとに、ジュディ・デンチ演じる上司のMに強烈な皮肉を言われる。自分が抱え込んだ実存的な矛盾に塩をすり込むような仕方である。楽しさらしいものが一切ない、殺伐とした情動の砂漠の中で、女と寝て、男を殺す主人公である。この主人公を、これから、さらにシリーズで作っていくというのだろうか。いま、世界中で一番悩んでいる男性はジェイムズ・ボンドであるといわれるようなキャラクターに作り替えるのだろうか。

その良し悪しは別にして、私の記憶では、これが原作にいちばん近いボンド像のような気もする。