ラ・メトリ『人間機械論』

ラ・メトリ『人間機械論』杉捷夫訳(東京:岩波文庫、1932)
必要があって、ラ・メトリ『人間機械論』を読む。日本では、デカルトと並んで、西洋医学(人類学の言葉ではバイオメディシンという)の一つのプロトタイプとして知られていて、象徴的には重要視されている人物である。医学史家の間ではあまり重要視されていないと思う。少なくとも、医学でも医学思想でも、その発達をデカルト―ラ・メトリの軸で、伝統と近代に分けるという議論は、医学史家はまず真面目に議論しないが、人類学者や社会学者の間ではわりとよく使われるという印象を持っている。これは、医学史家が「木を見て森を見ない」過ちに陥っている可能性もある。

以下、抜粋する。

自分の考えていることを自由に語ったからといって、私が醇風良俗の敵であるとか、かんばしからぬ品行の持ち主であるとか考えてもらっては困る。『人間機械論』をものし、『エピクロスの学説』をのべたからといって、傲慢なわけではなく、あえて快楽の微妙な筆を弄したからといって遊蕩児ではない。最後に、哲学者として、私は後悔の念などというものをことごとく退治したとはいえ、そして私の説が危険であるとしても、公民としては私自身もまた後悔の念を持つことがあるであろう。」「要するに世界一愉快な奴」(ラブレーがパニュルジェの肖像を描くのに借用)
21-22

阿片は、その保証する睡眠とあまりに深い関係があるので、ここにあげないわけにいかない。この薬品は、ブドー酒、コーヒーと同じく、人を酔わせるものであり、各々独特な方法により、またその分量にもよるものである。この薬は人を幸福にするが、その状態は、それが死の姿であるごとく、当然感情の墓場に相違ないと思われるものである。なんという心地好い熟睡であろう!魂は二度とここから出たがらないかもしれない。魂は最大の苦しみに悩まされていたのである。しかるにいまはもう苦しみがないという快感、およびもっとも有りがたい静穏さを享受しているという快感のほかには、なにものをも感じない。阿片は意志さえも変えてしまう。目を覚ましていたい、遊びたいと思っている魂を、無理に寝床につくように強制するのである。毒薬の歴史をのべることはさしひかえておく。 51-52

人体は自らゼンマイを巻く機械であり、永久運動の生きた見本である。熱が消耗させるものを食物が補って行く。食物がなければ、魂は衰え、かっとなり、力が尽きて死ぬ。ロウソクが消えんとして、火影を増すごときものである。反対に肉体に栄養を与えてみたまえ。力のつく汁、強い酒を喉に流し込んでみたまえ、そうすれば、魂は酒と同じように強く立派になり、大した勇気で武装する。52

われわれが思考するというのは、のみならずわれわれが立派な人間であるというのも、われわれが快活でありないし勇気があるというのと変わりはない。すべてがわれわれの機会のゼンマイの巻き方に依存しているのである。ときには魂は胃の腑の中に住んでいると言いたくなることさえある。ファン・ヘルモントは魂の座を幽門の中においたが、べつにまちがいではなく、ただ部分を全体だと思ったのが誤りなのである。 54

われわれは元来学者になるようにつくられているものではない。おそらくはわれわれの身体器官の一種の濫用によって、今一そうなっているのである。しかもこうなるまでには国家の懐が痛んだのであり、国家は無数ののらくらものを養い、虚栄心がこののらくらものに哲学者という美名を与えたのである。 84 

この人間という機械の原動力について少しく詳細な吟味に移ろう。すべての生物の運動、動物の運動、自然の運動、自働運動は、これの活動によって行われるのである。思いがけない断崖絶壁が眼前に現れたとき恐怖にうたれて、体が縮むのは機械的ではないだろうか?前にものべたように、殴る真似をすると瞼が自然に閉じ、あかるいところに出ると網膜を守るために瞳孔が狭くなり、暗いところでは物が見えるように大きくなるのは、機械的ではなかろうか?寒気が脈管の内部に侵入してこないように、皮膚の毛穴が冬になると閉じるのも機械的ではなかろうか?胃が毒のために、たとえば一定量の阿片によって、あるいはすべての吐剤等によって、刺激されると、嘔吐を催すのは機械的ではなかろうか? 96

なぜ美しい婦人を見ること、あるいはただ考えるだけで、不思議な衝動や欲望を引き起こさせるのだろうか?その際にある種の器官の中に起きることは、これらの器官の本来の性質からくるものであろうか?断じてそうではなく、これらの筋肉と想像力との間の交渉、一種の親和状態からくるのである。この場合はただ、最初の原動力が、古人のいわゆる bene placitum [いたく心地よきもの]、すなわち美の想念によって刺激され、これがまた別の原動力を刺激し、この別の原動力は深く眠り込んでいたところを、想像力のために呼び醒まされたのである。さて、どうしてこのことが起こったか?血液と精気とが混乱動揺を起こし、異常な速さでかけ出し、海綿体の中に流れこんでこれを膨張せしめるためにほかならぬのではなかろうか? 97.