17・18世紀のアメリカの両性具有

(Reis, Bodies in doubt より)
18世紀の半ばに、ハミルトン医師はこのように記している。

「私は、3時半にデラウェア州ニューキャッスルを出発し、街から1マイルほどのところで怪物的な外見のものを見た。それは、荷車の御者で、半分男で半分女であった。頭から腰まではとても男性的で、黒ひげをはやし、強くがさつな外貌をして、だらしない帽子、布の上着、たくましい拳をしていた。腰の下は、ペチコート、白いエプロン、そして丸く大きな腰と、女性の形そのものだった。こいつに何か飲ませて酔っ払わせ、存在すると聞いていたが自分では見たことがない両性具有であることを確かめようかと思ったが、悪魔が変装して人をだますことがあると聞いていたから静かに通り過ぎた。」

これを「両性具有」であると考える感覚は、現代からみて、大きく間違っていないが、少しピントを外している。両性具有だから、最終的には性器を見なければならないのだが、ここで性器を観ていないことは問題にしないでおく。上半身が男の体で下半身には女の体のようであるというのは、この人物の体の特徴が男女混合しているということだから、両性具有と同じ現象、つまり身体の両性を論じているということだと考えていい。しかし、帽子と上着、ペチコートとエプロンが混在しているというのは、服装における両性の混在であって、我々が考える「両性具有」とはほぼ何の関係もない。

インターセックスのアクティヴィストに話すと、きっと丁寧に間違いと正しい定義を教えてくれるだろう。それはそれで傾聴に値するから、聞いておくのがいい。

一つ重要なことは、ハミルトンは概念を厳密に使い分けられなかったわけではないことである。過去の概念の使い方を考え直すのは歴史学者におもに人気がある考え方だけれども、歴史学者でない人も、このことは注意して聞いてほしい。

両性具有が両性具有であるとわかるように、服装において両性をミックスすることが、当時のアメリカの慣行であった。たとえば1629 年のヴァージニア州で 年期奉公の召使いであったThomas / Thomasine Hall が両性具有であり、イギリスでの出生から現在まで、男性と女性を使い分けて生きてきて、おそらくどちらとも性的な関係を持っていたことが推察される状況になった時に、男女両性の隣人による性器の検査を経て、法廷は、ホールは両性であると判決し、それを明らかにするために、男の服装に女性のずきんをかぶる服装で過ごすことを命じた。フリークとしての服装を命じたといってもよい。

この、両性であることを強調することは、19世紀以降の、医学が前面に出てきてからの、どちらかの性に決めようとする単一性のパラダイムの正反対である。この点も重要だけれども、それよりも、この、体の異常さを服装の異常さで表そうとする権力の側の仕掛けは、一方でホーソンの『緋文字』とも共鳴する仕掛けであると同時に、シェイクスピアの喜劇でおなじみの、衣装を変えて権力を出し抜く変装やなりすましともつながる仕掛けである。内面、身体、その人物の過去といった見えないものを可視化させようとする権力と、その仕掛けを引き受けたり利用したりする個人との間に存在する流動的な均衡の中で、両性具有の歴史を考えると、とても広い視点を得ることができるだろう。