井戸の歴史

秋田裕毅『井戸』(東京:法政大学出版局、2010)

井戸の歴史の本に、何かいい情報はないかと思ってチェックした。

井戸の定義:「地面を湧水層まで掘削し、地下水を獲得するための人工的な土杭(どこう)、つまりは竪掘り井戸」 2

「現在われわれが井戸と呼んでいるものを、昔は掘り井戸という人が多かった。その人たちの間では、井戸とは掘らない井戸で、湧水のあるところ、地下水の露頭部を少し削り、掘りくぼめた程度のものをさしていた。井戸のイは旧かなづかいではヰ(wi)であり、堰(ヰ)のことである。堰とはダムで流れをせきとめた場所をさし、家の近くの小川につくった洗い場をヰドバタとよんでいる地方も多い。」 5

香水は閼伽と同じく仏に献ずる聖なる水の意であるが、修正会(しゅしょうえ)、修二会ではすこし意味が異なり、これをもって罪穢をきよめはらう呪力をもつ聖水である。したがって、この意味の香水を身につけたり飲んだりすれば、病を癒し健康を増し、災を除くことができる。これはきわめて原始的な水の呪術信仰で、弘法清水なども同じ信仰でしばしば流行神的な発展をすることがある。東大寺二月堂のお香水は、『二月堂縁起絵巻』に「飲むもの衆病を除く」とあるほど効験があると信じられて、いまだに重病でこれをいただきにくるものが後を絶たないという。そのために修二会中の香水汲みには、仏前の閼伽というよりも、一年中信者の需めに応ずるために余分に汲んで、本尊の須弥壇の下の香水壺に保存しておく。 136-7  五来重「お水とりと民俗」より

生活用水向けの井戸は、6世紀後葉にまず寺院のふろ水を賄うためにつくられ、その後、官人が居住する宮都は地方官衙など人口密度の高い地域に普及していった。井戸が登場する契機は仏教伝来にともなう寺院の建立にあり、都市の成立にその発展の鍵はあったのである。井戸が都市の文化であることは、近世に入っても農村部では庄屋や富豪層など限られた家にしか井戸がなかったことからも明らかである。 173