明治末の精神病と「社会の厄介者」論

原胤昭「社会の厄介者である累犯者」『国家医学会雑誌』1909. No.264, 173-185.

著者の原胤昭は、江戸町与力の家に生まれ、明治維新以後キリスト教に改宗し、出獄人を保護する事業をしたいわゆる社会事業家として有名である。これは国家医学会での講演を原稿にしたものだが、その口調は、ごく普通の市井の人物がくだけて話している感じがする。

明治16年から監獄を出た人間をすくう事業をし、明治30年には出獄人保護としてそれが認められたと自ら述べている。その20余年に、人名簿に記入した保護した人物は1400人もいるが、そのなかに、精神病者、精神病的中間者、生来的能力欠陥者と思われる人物は、男は118人、女は23人いた。これらの保護成績は非常によくない。男でいうと、まともに結婚し一家を構えて子を持つものは26名である。これができなかった92名のうち、69人は再び犯罪を犯した。これらの人物は、「コンマ以下」の人物なのである。(実は、私は、この「コンマ以下」という表現を知らなかった。)

累犯者は多くの「半気違い」である。この「半気違い」という言葉は、世の中一般に「厄介者」というものと一致する。嫁にも行けず、家業を修めることもできず、人間並みの生活をする能力がないから、必然的に盗みに走る。この原因は、「三つ子の魂」というように、3歳から4歳までの家庭の状況である。さらにさかのぼると、胎内と、受胎の時の父親と母親の状態である。つまりは親の責任である。本人の罪は三分、親の罪が七分である。それを省みない親は本当に頭にくる。それを知らせたくて『子は母の写真』であるという本まで書いた。

厄介者の例として挙げている話が面白くて深い。それらは、夜うなされる、昼ねぼける、場違いな衣服を着る、妙に勉学したり、夜を徹して書物を読んだりする。(学者はたいてい厄介者である。)祈祷をする、夜が怖い、警察は猫で、その猫に捉えられるのが怖いなど。 

この人物を少し調べないと。