ドレスデンの「温泉」

識名章喜ドレスデンに<温泉>はあったのか?―E.T.A. ホフマン『黄金の壺』の<リンケ温泉>について―」『慶應義塾大学日吉紀要 ドイツ語学・文学』no.47(2011), 99-133.
識名章喜「入浴観の違いから生じる誤解――E.T.A. ホフマン『黄金の壺』の<リンケ温泉>について―」『慶應義塾大学日吉紀要 ドイツ語学・文学』no.48(2011), 91-129.
いただいた論文を読む。E.T.A. ホフマンに『黄金の壺』という中編小説があって、人間の男性と火の妖精の娘の間の恋を描く幻想物語であるが、その小説中に Linkisches Badという地名・施設名が出てくる。これは、実際にドレスデンに実在した施設名であり、ホフマン『黄金の壺』の歴代の翻訳において、石川道雄による名訳から現在の改定版大島かおり訳に至るまで、基本、「リンケ温泉」という訳語があてられてきた。ところが、識名がドレスデンのその土地に行っても、温泉はおろか、「湯けむりも立っていない」。Linkisches Bad は、「リンケ温泉」という訳でいいのか、という問題に、博引傍証の知識、翻訳についての深い洞察、ついでにとぼけた味を盛り込んだ、とても楽しい論文である。

基本は、もともとはドレスデンのエルベ河の向こうにあった軍人の土地であったが、18世紀に植林し園亭が建てられる。これがもとになり、1763年には医師レーエンにより、鉱泉浴場の設置が申請される。1766年には、劇場が設置された。18世紀の末には、浴場(鉱泉ではなくて川の水をくみ上げて温めていたらしい)があり、エルベ川の眺望が楽しめ、散策ができ、食堂があり、劇場がある娯楽施設ができていた。これが、ホフマンによって言及された Linkishces Bad であった。これを、「リンケ温泉」と訳すのが正しいかどうかという問題は、私にはさして大事な問題には思えないし、何よりも、日本人が「温泉」という言葉にあまりにも濃密な意味を込めすぎているという問題もある。しかし、どうでもいいことを、時にふざけて、ときに真面目に論じた、優れた文学研究者というのは、こういうセンスを持たなければならないのだなというセンスがたちのぼってくるような論文だった。

ついでにいうと、明治政府は、上野の山に、日本全国からさまざまな温泉を集めた「温泉ランド」を作ろうとしていたが、これは、彼らがドイツで知った、ヴァリエーションをつけた鉱泉に入るということがヒントになったのだろう。