14世紀中国にペストは来たか

Sussman, George, “Was the Black Death in India and China?”, Bulletin of the History of Medicine, 85(2011), 319-355.
14世紀なかばのヨーロッパをペストが襲い、人口の三分の一程度が死亡する史上最大規模の疫病となったことはよく知られている。この病気はペストではなかったと主張する歴史学者たちもいたが、DNAの痕跡を検出する考古学の調査結果は、墓地の死者はペストで死んでいることを示したから、この論争はほぼ終わったと私は思っている。あとはDNA考古学のリライラビリティの問題である。

おそらく次の論争の中心は、中世にペストによって侵された地域的な範囲であろう。この疫病は、ヨーロッパ以外にも広がったのかという問題である。この問題について、最も影響力があるのは、いまから50年ほど前に書かれたウィリアム・マクニールの著作であって、そこでは、中央アジアのげっ歯類に拠点を持つペストが、モンゴル帝国の版図の通商により、その西側では黒海から地中海に伝えられてヨーロッパに大流行を起こし、東側では中国で人口を激減させる大疫病になったのではないかという仮説を提唱している。これが仮説であることは、マクニールももちろん認めていて、ペストであることを示唆する証拠は何一つ議論されていないにもかかわらず、この「中世の中国にペストは大被害をもたらした」という説は、帝国の成立と、その内部で容易になった疫病の拡散という形で、説得力がある説明としてなんとなく語られていた。

この説明を根本から再検討した論文が、この論文である。ついでに、インドにペストが侵入したかどうかも検討している。結論から言うと、ヨーロッパの黒死病の時期には、インドも中国もペストを経験していないと主張する。それにあたる記録が見つからないのである。はっきりとペストであると言えるのは、インドだと17世紀、中国だと18世紀末の雲南であるという、これまでの確実な知識を追認している。

ただ、この論文は、何かを見つけたわけではなく、「何も見つからなかった」ということを報告する論文である。きっと、さまざまな反論が可能なのだと思う。この問題は、しばらく論争の対象になるだろう。