高林陽展「戦争神経症」

高林陽展「戦争神経症と戦争責任―第一次世界大戦期及び戦間期英国を事例として」『季刊戦争責任研究』70号(2010.冬),53-62.
頂いた論文を読む。
清水寛らの労作のおかげで、日本における15年戦争期の戦争神経症の研究が始まっており、患者記録を含む膨大な資料も復刻されて利用可能になっている。イギリスでは、1980年代から戦争神経症という主題が発見された。これは、精神医療の現代の始まりを象徴する転換点であると捉えられてきた。すなわち、強靭な精神力と勇気を持ち愛国心に満ちているはずの男性兵士のあいだに、まるでヒステリーの女のような神経症が無数に発生し、それを国家が認めて補償をするメカニズムが作られるという意味で、ヴィクトリア朝の理念が崩壊し、福祉国家が登場してきたことを象徴する事件として捉えられていた。日本の戦争神経症は、日露戦争でも発生したし、15年戦争では大量に発生したが、そこから歴史学者たちは何を読み取るのだろうか。

この論文は、こういった日本の研究の文脈に軽く交差させる仕方で、イギリスの戦争神経症研究の歴史を記述したもの。イギリスにおいても、戦争神経症は、「外傷がないのに戦えない」という軍の規律の根本を乱すものと捉えられた。「臆病行為」ということで、死刑判決も3000人に対して出された。(その多くは見せしめであり、のちに減刑された。)症例を扱った論文を医学雑誌に発表することは禁じられ、戦争神経症の兵士を地元の街に送還すると不必要な同情を得るとされた。治療と称して与えられたものも、ショック療法などの、懲罰的な厳しさを併せ持つものであった。外傷なしに戦線を退くことが認められると、詐病行為の温床となることが心配された。戦争神経症が扱われていた基本は、軍のマッチョな文化の中で定義されていた疾病であった。

それが変化したのが、戦後の調査である。戦争神経症調査は、これを病気として認め、国家による年金支給の補償の対象となった。そのため、戦争中に認められた戦争神経症の数よりも補償の対象となった数の方が多いという事態も起きた。また、独自の神経科クリニックが作られ、そこで治療が行われた。国家だけでなく、慈善もこの治療に乗り出し、専用の慈善治療院を設置するものもいた。精神科医たちも、この新しい構造において地歩を築きながら、自らの地位を高めようとしていた。

神経症を問題にする仕方が、軍という規律と構造を重んじる集団と、より流動的な新しい構造と価値観の創出を許す一般社会と精神医療の空間においては異なっていた。一般社会と精神医療の空間においては、国家の決定に沿って、新しい神経症の理解を構成していくことができた。

著者はイギリスで博士号を取得した気鋭の研究者で、イギリスの優れた歴史学者に見られるような、鋭い分析概念を背後に持った的確な説明の仕方が、成熟を感じさせる。「成熟」もそうだし、「的確」もそうだけれども、これらはある種の美学のようなものとしか言いようがない概念で、説明するのがとても難しい。