祈祷性精神病

佐藤政治「看過され易き祈祷性精神病に就て」『日本医学及健康保険』no.3267(1941/42), 154-9.
森田正馬の「祈祷性精神病」をうけて、この病気の心理的な機構の解明に取り組む医者たちが現れた。これは、森田が教えた慈恵会医科大学の助手による、いわば森田の本拠地の後継者による臨床観察に基づく論文である。ポイントは、この病気がなかなか注目されないことの背景には、それが医者によって見いだされにくいという構造的な問題があり、その構造は、患者の側の事情と、医者の側の事情の双方にまたがっている。患者の側には、この病気にかかった人々が医者にかかることを嫌うという事情があり、これが医者との接触をまれにし、接触した場合でも拒診的な態度をとって、診療を難しくしている。一方医者の側には、この病気は他の種類の精神病の不定型群の中に混じりこんでしまっているし、また、この心因性の病気の推移には長く時間がかかるので、この病気を通して観察することが難しい。なお、このポイント自体を論じることがこの論文の目標ではないが、この病気の治癒までの進行を早めるために、電気痙攣療法を用い、それによって在院期間を短縮して医者が観察しやすい現象にしたことは、私にとってはとても重要な情報だった。

森田の祈祷性精神病は、285人の患者中、5-6人に見出され、心因性の精神病の大部分がこの病気である。この論文では三つの症例が丁寧に分析されている。病床日誌から直接おこした症例だから、とても重要な情報が生のまま含まれている。たとえば、患者が「感応」という言葉をつかって、幻聴や暗示などを語っていること。あるいは患者は病院では尊大であり扱えなかったが、病院を退院後日蓮宗の寺に入り、少し平静になってから自宅に帰ること(治療の場の多様性)。ECTを行うと急に平成になり、ほとんど別人の如くなり、作業にも参加し、他の患者と談笑したりするようになること。自家の軒下で古帳面を焼いたとき、平生から半狂人だと思っていた近所の人々が、これを警察沙汰にしたため入院したこと。中年後の女性の比較的文化の低い生活と、その孤独不遇が問題にされていること。なによりも面白かったのは、患者のセリフで、「天皇陛下様のことを一口いったのが悪かった。そのせいで[病院に]入れられた」と患者が言っていること。これは、患者の多くは、天皇と国家についての強烈なタブーを認識しており、それに沿って行動していたということになるのだろう。