杉田直樹の立ち位置について

杉田直樹「精神病学に於ける臆想」『臨床文化』vo.8, no.2(1941), 1-6.
インシュリン・ショック療法やカージアゾル・ショック療法は、精神医学にも衝撃をもたらした。「分裂病は不治ではない」という現実は、分裂病の理解を再編成する必要があることを医者たちに示した。結局、特発性・本態性・進行性の分裂病と、症候性・反応性・一時性の分裂病の二種類があるという理屈を杉田はつけている。それよりも重要なことは、「性格」の議論である。いくつか引用する。

精神分裂症は要するに性格の疾患であり、かかる性格の破綻は、そのものの日常の生活法の沈滞がその主な原因となっているかのように察せられる。(中略)普通の人でも長い間外界の刺激から遮断せられ、日常の生活法に少しも起伏のない状況におかれていると、一般に精神作用がひねくれてきて分裂症患者のように無為症となり、また拒絶症衒奇症常同症状などを示すようになるのである。長い間の拘禁生活や山間人や労働人などの間に縷々こうした性格異常を呈する人に往々遭遇する。

今まで分裂症の原因についてあまりにドイツ式の科学研究法のみによって正面探求をつとめ、脳髄の病理解剖や内分泌の異常や遺伝系統の調査や病的心理症状の特徴やの精細なる研索にのみ邁進してきて、しかも今日までなんら確実に本格をつかむことができないで過ごしてきた。

以下は私の文章です。

大正・昭和期の精神医学は、たしかに呉秀三と精神病者監護法の時代の精神医学に較べて、大きな変容を遂げている。粗い言い方をすると、狂気と精神病を治療する学問から、性格と人間心理についての洞察をもたらす学問として離陸したという印象をもっている。精神医学者が、民族という概念を媒介にして、小説や絵画を通じて日本の文化や社会などについて発言するようになる現象も認められる。ここから、『甘えの構造』や『戦闘美少女の精神分析』への途はすでに開かれているという言い方をすると、評論家風の言い方になるのかな(笑)