昭和戦前期の医学と「童貞論」

浅田一『犯罪鑑定余談』(東京:武侠社、1929)
同じく浅田一の書物である。基本は、鑑定書そのものや、鑑定書から説き起こしたようなエッセイ風のものが多い。そのなかで、大正15年に京都でおきた殺人事件で、小笛事件(白川四人殺し)と言われている事件について鑑定書のようなものを書いたのが浅田(筆名は「余談子」)であると知る。この鑑定書は、話題になって週刊朝日にも掲載され、田中香涯にも大いに褒められて、得意そうにその事件について語っている。このあたりに、浅田がマスコミにひっぱりだこの法医学者になり、探偵小説や猟奇趣味とかかわるようなものについて随筆を書くようになったきっかけがあるのだろうかと想像する。

それ以外にも、精神鑑定書が三件あったので、これも喜んで読む。ひとつは退職軍人の詐病について、もう一つは悪友に染まって不良になり犯罪を犯した若者を素材にして交友選択の必要を説くもの、もう一つは、横溝正史の怪奇・猟奇小説じみた話だが、盲人の琵琶法師が、妄想に基づいて異様の器具を作成して、それで妻を惨殺した話である。その器具は、ハエなどの田畑の作物を害する虫類を撲滅するために針金や鉈を組み合わせて作ったものである。(本文には写真も掲載されている。)

学問的というよりも大衆の趣味嗜好に応じた文章がたくさん入っていることは別に驚かないが、それとは少し毛色が違う「童貞論」という文章があった。「諸君!」という呼びかけで、処女と結婚したいのならば、あなたも童貞を守れ、そのためには理性で本能を制御せよという文章である。この議論自体は特に驚くようなことではないし、当時はヒステリックに叫ばれていた女性の性の乱れに対応する男性の側に要求されている変化として、多くの(男性の)医者たちが唱えたことだろうけれども、その口調といいなんといい、唖然とするものがあった。二節ほど引用する。

「諸君!青年諸君が童貞の貴むべきを自覚し、自ら清くしたならば自然娼妓などもなくなり、婦人の貞淑はますます美しく固められるであろう。貞女を獲んとせばまず童貞を守れ。無害にして無上の精神的悦楽がある。」

「いわゆる本能の奴隷となりかけたら、木仏、石仏、金仏を観ずるがよい。十字架上のキリストを思うがよい。南無阿弥陀仏、南無明法蓮華経、アーメンを念ずるがよい。煩悩は忽ち去って即菩提になるであろう。それから英語を読め、算術、代数、三角、幾何、微分積分、物理化学を勉強せよ。それができれば初めて人間らしい人間である。煩悩の蠅は追えども去らずと自ら苦しむ者は人面獣心である。外面如菩薩、内心如夜叉である。諸君!吾人はいやしくも地球上最高の含霊ではないか。喝!!喝!!喝!!」