クラフト・エヴィング商会『猫』

クラフト・エヴィング商会『猫』
猫についての短い随筆を集めて一冊の書物とした本。1955年に『猫』として単行本になったものを、クラフト・エヴィング商会がすっきりとした本にプロデュースしなおして中央公論新社から再刊したものである。著者は、有馬頼義猪熊弦一郎井伏鱒二大佛次郎、尾高京子、坂西志保、瀧井孝作谷崎潤一郎壺井栄寺田寅彦柳田國男。どの随筆も、猫が持つ気品と優雅さと寂しさが漂っている。このことは、これらの随筆が書かれた20世紀前半のころの猫は、現在とは違う生活をしていたことと関係あるのだろう。現在との決定的な違いの一つに、猫のバースコントロールの問題がある。現在の飼い猫たちとちがって、この時代の猫は、牡でも牝でも避妊手術がされていなかった。生殖のためのいわゆる夜遊び、そのための牡同士の争い、妊娠と出産。これらは、猫を飼うことの重要な一部であると同時に、猫を飼う初心者を驚かせるものであった。寺田寅彦の猫(「三毛」)が、はじめての発情期を迎えたとき、寺田はこのように書いている。

私は何となしに恐ろしいやうな気がした。自分では何事も知らない間に、此の可憐な小動物の肉体の内部に、不可抗な「自然」の命令で、避けがたい変化が起こりつつあった。さういふ事とは夢にも知らない彼女は、唯身体に襲ひかかる不可思議な威力の圧迫に恐れ戦きながら、春寒の霜の夜に知らぬ軒端をさまよひ歩いているのであった。私は今更のように自然の法則の恐ろしさを感じると同時に、その恐ろしさをさへ何の為とも自覚し得ない猫を哀れに思うのであった。141

この本を読み始めるときに、そんなことをもちろん考えていたわけではないが、寺田の時代の知識人が、知性を持たない動物の生殖と性について、どのような漠然とした恐怖を持っていたのか、それが優生学の言説にどのように滑り込んだかを鮮やかに教えてくれる。身体と性の魔性の力に突き動かされて、自分に何が起きているかが分からないまま、住むべき家を離れて夜の軒端をさまよって生殖をはじめる牝。その自覚のなさを「あわれ」に思うこと。戦後の話になるけれども、猫の避妊手術がマストアイテムになったことが実感としてよくわかる言葉だった。