内村祐之「アイヌのイムについて」(3)

内村祐之アイヌのイムについて」(3)
イムは、クレペリンやクレッチマーが言うところの、心因性反応である。驚愕、破綻、災難その他の機会に対して、人間は自己防衛の反応をする。これは、生物一切に通じる反応であり、「運動暴発」と「擬死反射」である。(これらは、第一次世界大戦後のヨーロッパの医者たちにとっては、自分たちが目撃して身近に感じた「死」とそれからの逃避を問題にしていた。)人間においては、こういった死の危険に対して、理性によって処置することが多いが、このような上部構造が抑制されたり麻痺したりしたときには、下部構造である本能的反射的機構が発動される。イムは、まさしくこの運動暴発と擬死反射である。文化人の心因反応に見られる、複雑多岐な痙攣・運動麻痺・感覚障害とは違い、イムの反響症状や強硬症などは、下等動物の反応に近似している。しかし、もちろん、下等動物は反響症状を行えるわけではない。それは、高等な生物の単純な形の心因反応がある。ヒステリーのような複雑性を持たず、個人的な色彩も薄くてどのイムバッコも似た症状を示す。また、ヒステリーのような疾病利得の意志が薄い。すなわち、個人的な差異が極めて狭く、動物における本能に基づいた運動暴発や擬死反射のような現象面が露骨に現れてくる。イムは、戦争ヒステリーが戦争を忌避し、災害ヒステリーが賠償金を期待するような、利得への欲求に欠けている。しかし、ここで重要な点は、イム患者に個人としての疾病への意志が欠けているかもしれぬが、それにかわって民族的・団体的な疾病への意志があるのである。イムであることは、それは不治であり、そのままでいなければならないという、アイヌ社会全体の通念を受け入れることである。つまり、団体として「病気のままでいなければならぬ」という意志があるといっていい。

ヒステリー性格のものには、「顕揚欲」というべく、目立ちたがり、利己的、誇張的、気まぐれ的、感情的、演劇的、虚栄的な特徴がある。しかし、アイヌのイムにはこれが一切ない。そのかわり、ヒステリーと関係をもつもう一つの重要な特徴である「被暗示性」がある。アイヌのシャーマンである「つす」は、自己催眠にかかって術を行い、被暗示性が高い人々であるが、彼女たちの多くがイムでもあることは偶然ではない。この被暗示性の高さが、蒙昧未開で原始心性をもつ人々の特徴である。だから、かつての中世ヨーロッパや現代のヨーロッパの山間部でヒステリーが流行したように、イムも流行するし、日本の地方ではヒステリーも流行する。

ヨーロッパの周縁の民族、すなわちユダヤ人、北スラブ人、チェコ人、ボスニア人たちにヒステリーが多いという報告がある。これは、比較的未開な民族において、外来の刺激に対して感受性が高いとヒステリーになりやすい。

アイヌにおいては、蛇のトーテムやタブーがあり、この集団意識と「イム」がかかわりをもつことは疑いない。これがあるからこそ、迫力ある暗示になるのである。(続)