精神障害の出現頻度

1953年に国立精神衛生研究所が出版した『精神衛生資料』に、精神障害者の出現頻度についてのこれまでの調査の一覧表が掲載されている。この時期は、精神病者への対応が大きく変化する時期であった。1950年に制定された精神衛生法によって、それまで精神病者収容のかなりの部分を担ってきた私宅監置が廃止され、患者を精神病院に収容するシステムへの切り替えが始まった時期であった。さらに、2年前の1948年には優生保護法が制定され、遺伝性の疾患の予防に本格的に取り組む体制ができていた。

精神病院への収容と、精神疾患の遺伝を防ぐ優生学の両者の間に深い関係があることは、すでにナチス・ドイツにおける研究が明確に示している。特に、精神障害者や児童の抹殺計画においては、精神病院などの収容施設は、抹殺の対象を発見する装置であり、抹殺が実際に行われる場でもあった。一方で、同時期の日本においては、精神医たちは、国民優生法に反対し、精神病院の建設を唱える傾向が非常に強く、ナチス・ドイツのような傾向はみられない。

一方で、国民優生法に対して慎重な態度を示しながらも、「断種などによる精神疾患の遺伝を行うとしたら、きちんとしたデータを得て科学的に行うべきである」という態度で、精神疾患の疫学調査を行った精神医たちがいる。この立場のリーダーは、当時東京帝国大学の教授であった内村祐之であり、彼の研究室が主体となって1939年から42年に行なわれた現地調査が、この表の中心となっている。

・・・このことは、何を意味するのかなあ。