ユイスマンス『スヒーダムの聖女リドヴィナ』


J.K. ユイスマンス『腐爛の華―スヒーダムの聖女リドヴィナ』田辺貞之助訳(東京:国書刊行会、1984)
恥ずかしながらこの作品を知らなかった。中世の身体の歴史に学生が触れることができるすばらしい素材の一つであることは間違いない。リドヴィナについては、トマス・ア・ケンピスなどの著名な人物による聖人伝もあって、こちらのほうが歴史的には正確らしいけれども、日本語への翻訳を見つけられなかった。

ユイスマンスの作品は1901年の出版で、ユイスマンスが改宗して熱烈なカトリック信仰の書を創作するようになった時期の作品である。スヒーダムの聖女リドヴィナは、1380年に生まれて1433年に生まれた実在の女性である。ハーグの近郊のスヒーダムの庶民の子に生まれ、15歳のときにアイススケートをしているときの事故をもとにして進行性の病気が始まった。ユイスマンスの記述を読むと、まさしく「腐爛の華」という言葉がふさわしい、「おぞましくも美しい」病気で、身体が腐乱し続けていくようなありさまである。体中に壊疽ができてその中には蛆虫が発生し、内臓に膿がまわり、激痛が走り、顔には血の溝が走り、腹は滑稽にドームのように膨れ上がった。だいたいこのような状態で、寝たきりになった状態が30年続く人生であった。ウィキペディアによると、現代の診断でいうと、多発性硬化症ではないかとのこと。 キリスト教的には、彼女はスケートと慢性病人の守護聖人だという。

ハンセン病の位置づけについてのメモ。ユイスマンスの説明によれば、神は、中世の三つの病気のうちの二つをリドヴィナに与えた。それは丹毒とペストである。丹毒は、隠れた火のように四肢の肉を焼きつくし、骨からはがした。ペストは大きな<よこね>を作ってすみやかに人を殺していった。髪が彼女に与えなかったのは、ハンセン病であった。この欠如は、一見すると不思議なことに見える。聖書からも明らかなように、神はハンセン病患者に明らかに興味を持ち、これを利用し、人々に憐れみの念を起こさせるのに使ってきた。ハンセン病というのは、罰として送ったり、ヨブの信仰を試したりするときに用いられる、神が人間と関係を持つときによく使う道具であった。あらゆる病気にさいなまれたリドヴィナが、そのハンセン病だけを送られていないのは奇妙である。しかし、このことは不思議ではないとユイスマンスは言う。なぜなら、当時、ハンセン病患者は社会と家庭から追放されており、病気になると市や町の外にある収容院に追われて、生きた死人として人々の注目を集めずに死ななければならなかったからである。神は、聖女リドヴィナがあらゆる病気で苦しみ、内臓が飛び出し、肉が剥がれ落ちてばらばらになり、膿が腹の孔からほとばしるようになりながら、人々の中で暮らすことを選んだのである。

画像は、この苦悩と汚辱と栄光の人生の発端となったスケートでの事故を描いた版画。