キリスト教社会の形成と身体

必要があって、『私生活の歴史―古代からビザンティンまで』の中のピーター・ブラウンによる章を読む。文献は、Brown, Peter, “Late Antiquity”, in Paul Veyne ed., A History of Private Life I: From Pagan Rome to Byzantium, translated by Arthur Goldhammer (The Belknap Press of Harvard University Press: Cambridge, Mass., 1987), 235-311.

ブラウンの The Body and Society は、私が最も好きな書物の一つで、いつかは、あのような本を書きたいなと思っていると同時に、彼が一つの章を書いている『私生活の歴史』の5巻本は、通史の中で私が一番熱心に読んだものである。授業の準備のためにいろいろな通史を持っていて、たとえばケンブリッジの日本の歴史6巻本や、ケンブリッジの図説中世史の3巻本、オクスフォードの10巻本の簡略ヨーロッパ史のシリーズなどをときどき授業の前に読むけれども、これらは背景の知識を仕入れるために読むのに対して、『私生活の歴史』は、どの巻も熱心に読みふける愛読書である。

ブラウンの議論は、ローマ帝国の衰退期に広まったキリスト教を、新しい信仰を与えたと捉えるだけでなく、時間と空間を包含した中での個人の身体と自己を捉えた、素晴らしい広がりと深みを持っている。すなわち、キリスト教が示した世界の創造から最後の審判という時間的なヴィジョンを、これまでの都市文明とは異なったトポグラフィを持つ「修道院」という形での空間的な位置づけを持っていたものとして捉え、修道院のキリスト教が提示した夫婦・家族・共同体・人類といった社会関係の新しいモデルを分析し、それを通じて新しい身体と自己の実践を記述するというものである。この修道院のモデルを、ブラウンは「砂漠のモデル」「砂漠の挑戦」という。修道院は、都市や街などの都市共同体の外の人里離れた場所にできた拠点であった。かつては、都市における同胞との交流の中で道徳が形成された「恥の文化」であったのに対し、修道院においては、そこで神と自己が向き合う「罪の文化」が形成された。「砂漠の挑戦」は、さまざまな宗派によるヴァリエーションはあったが、全体として、性と結婚と家族と人間社会に疑問符をなげかけ、再検討をせまるものであった。ポイントになったのは、原罪以前のアダムを、人間と人間社会と人間の歴史の一つの原型として明確に設定したことであった。彼にイヴが与えられ、そして彼女に言われて知恵の木の実を食べたあとに発生した、性、夫婦、生殖、出産、労働は、人類の歴史が<偶有的に>持っている要素にすぎず、本質的な流れは、アダムから最後の審判に向かって流れている歴史であった。「砂漠の挑戦」は、都市の外に作られた修道院と、その周囲に形成される社会関係と、そこで語られる思想、行われる実践が、真の歴史に踏み出す一歩であるという、都市型社会の思想と身体実践に対する歴史的・空間的なアンチテーゼであった。