OKな医学検査とNGな医学検査―大正期アイヌの場合

北海道庁『白老・敷生・元室蘭・旧土人結核病・トラホーム調査復命書』(大正2年)
近代日本において、ダーウィニズムの優勝劣敗・適者生存の原理を日本人にまざまざと見せつけた民族は、おそらくアイヌであろう。この報告書の冒頭には、北海道庁警察部衛生係の警部・小松梧樓による「アイヌ種族の運命に就て」と題された文章が付され、そこではアイヌは劣等人種として生存競争に敗れて滅亡すること、それを目の当たりにして惻隠同情の念を禁じ得ないことなどが記されている。この小松という人物は、同年に北海道の結核についての著作を出版していて、民族ごとに結核の感染と死亡率の差があって、その差によって栄える民族と滅びる民族の違いが現れてくるという、生物学的な民族の興亡のイメージを打ち出しているのだろう。

この調査自体は、小松が行ったものではなく、警察医の諏訪が、白老村、敷生村、元室蘭村で行ったものである。結核は、上半身を検査する臨床的な方法に、喀痰検査を組み合わせて調査した。ピルケー反応は、旧土人の感情をなるべく害さないためと、時間と助手の関係で実施することができなかった。また、喀痰検査とはいえ、ただ唾を吐いただけのものが多く、きちんと痰を採取できたものは少なかった。

これは断片的な記述だが、アイヌが医学技術による身体への侵襲を拒んだ点について、喀痰検査はOKだったが、ピルケー反応(ツベルクリン反応)はだめだったという点も憶えておこう。