日本近世の夢

説経節 山椒大夫・小栗判官他』荒木繁・山本吉左右編注(東京:平凡社、1973)
説経節』に収録されている「信徳丸」を読む。
説経節というのは、近世初期に操り芝居と結びついて流行した語り物・芸能である。もともと中世にも存在したが、三都の操り芝居で上演されて人気を博した。のちに、浄瑠璃にすぐれた太夫が現れて音楽的に洗練され、近松のような浄瑠璃の台本の作者が現れると、これに圧倒されていったが、浄瑠璃に多くの影響を与え、絵草紙や絵本の素材となり、地方の芸能となって、ゴゼ歌、盲僧琵琶、大黒舞いなどに発展した。佐渡の説経人形、秩父横瀬の袱紗人形、八王子の車人形などは、現在(1973年のことだろう)でも上演されているという。編者たちによれば、説経節浄瑠璃と較べると粗野で稚拙だが、口語りが生きていた時代の生命感を伝えるという。もともとは民間に布教したときに、分かりやすいように語り物にして、舞や音楽をつけた「唱導」が起源であり、楽器としては「ささら」という楽器を用いた。この語り手たちは乞食などであり、この語りや見世物をして金銭などを恵まれた。彼らは逢坂山の関寺にある盲目の皇子蝉丸を祖神とし、蝉丸をまつった蝉丸宮の兵侍家の支配下にあり、その祭日には燈明などを送った。

「信徳丸」は、もともとは長者の息子で舞の巧みな美しい稚児であった信徳丸が、継母の呪いによって癩病になり、体中ができものが覆われて盲目となって家を追い出されるが、昔の恋人の乙姫が変わり果てた姿となった信徳丸を見つけ、ひしと抱き合って肩に担いで街を歩いて運び、呪いを解いて病気を治して、継母に復讐をするという話である。ハンセン病となったものが、家から追い出され、宗教や治療の場所を訪ねて乞食の生活に身を落とすという話であり、この説経節を語った乞食たちと姿が重ねあわされた作品だっただろう。

この作品において、登場人物は常に清水の観音様に導かれている。観音様は夢にあらわれ、真実を告げ正しい方法を示す。それを夢の中で教えられた人物たちは、夢が覚めて「かっぱと起きて」、それを実行する。この夢を媒介にした教えを通じて、ストーリーが進行し、その背景が語られるという仕組みになっている。このようなエピファニーの夢というのは、たしかに、宗教的な唱導に起源をもち、しかも操り人形の芝居で上演される語り物にとって、都合がいい設定なのかもしれない。そして、ロジックの設定としては、こういった語り物を通じて「あるべき夢の姿」を学んだ近世の日本人たちが、このような夢を「本当に見た」ことは十分ありえることであるというのだな。なるほど。