筒井清忠『二・二六事件とその時代』

筒井清忠『二・二六事件とその時代―昭和期日本の構造』(東京:ちくま学芸文庫、2006)
政治史は私が最も苦手にしている分野だが、二・二六事件についての優れた著作を読む。もちろん学術的な政治史の著作だから、ファシズムや革命についての国際比較を含む理論的な分析もあり、二・二六事件にかかわった青年将校や政治家たちの個人にかかわる記述もあるわけだが、理論は明晰に説明され、個人の信念は迫真力を持って描かれながら、その両者が融合している。優れた歴史書というのはこういうものなのかと感心した。

議論のコアは、二・二六事件の位置づけである。同事件は近代日本の最大のクーデターであったが、その指導者である青年将校たちは、しばしば理想主義的で非現実的であり、クーデターによって天皇周辺の夾雑物を取り除いたあと、新しい支配体制を作る具体的な計画を持っていなかった、あるいは新体制は天皇の真の権威の発現によって自然に正しいものになるという楽観的な予想しか持っていなかったかのように解釈されていた。著者の筒井は、二・二六事件にかかわった複数の青年将校たちを分析し、たしかにこのような方針を持つものもいたが、それと同時に、明確な事後の計画を持っていたものたちが存在したこと、彼らは北一輝に影響されて、むしろ事件の中枢的な地位を占めていたことを明らかにした。前者の「天皇派」に対して「改造派」と呼ばれる将校たちは、そして要人の暗殺―暫定的な新内閣―彼らが理想とする新内閣という、合理的な新政権への道筋を描いており、じっさい、要人の暗殺からの彼らの行動は、この道筋に従って展開されている。しかし、「新内閣の組閣を命じること」は天皇の権限であり、天皇は一貫してこれを拒み続け、反乱軍は政治的に前進することができないまま孤立していった。青年将校たちの二・二六事件は、それがクーデターであり反乱軍であったとしても、それが正当性を持つためには、どうしても天皇が自発的に詔勅を下すというプロセスが必要であった。これこそ、まさに「天皇型の政治文化」において踏まなければならない要石であり、また、それこそがこのクーデターを挫折させたのである。