赤松啓介『差別の民俗学』

赤松啓介『差別の民俗学』(東京:ちくま書房、2005)
「夜這いの民俗学」で著名な民俗学者の著書を読む。部落差別の問題を、より広い村落共同体の内部における「家系」による差別・差異化とつなげる優れた視点であり、特に疾病による差別にも言及している箇所があって、現在の仕事(アイヌのイムと八丈島・三宅島の精神病調査)との関連できっかけになるアイデアを貰った。というか、まだ読んでいなかったのかということだろうな。

村落共同体の中には数段の身分的階層があり、他にも差別のスジがある。基本は村の起立、開発、定着に関係した序列であり、草分、本家、新宅、下人、新入などがあった。(こういった言葉は、著者の出身の播磨地方の言葉になっている)村の身分的階層が鮮明になり重要な役割を果たすのは結婚の時であり、そのの問い合わせの時には、家筋・階層が第一に重要であり、それに次いで家の財産や親類の状況、最後が本人の学歴や職業、性格などであった。(そうか、学歴重視というのはプログレッシブな力だったんだ)この家筋に加えて、職業による差別もあり、サカヤ、ミリンヤ、ハタヤのような屋号は、大規模な職業に携わっていたことを示すものでありよい家柄を示し、一方でイシヤ、コンヤ、フロヤなどは資本なしでもできる職人的なものだからよくない家柄であるとのこと。

これに並行して、著者が「疾病的・体質的・信仰的」と呼ぶ差別のスジが存在する。(ここで何気なく「体質」という概念が使われていることも面白いが、それはいい)「疾病的」な差別は、農村においては家の継承と絡んで永続化される傾向を持つ。この中で最も重要なのはいわゆる「カッタイスジ」、つまりハンセン病である。カッタイスジになると、いかに総本家であり庄屋筋であれ、平百姓や下人筋と縁組できない。ある家にハンセン病が現れたり疑われたりすると、まとまっていた縁談も破談にされた。すでにその患者の親類が結婚している場合には、その嫁を離縁させて家に呼び戻すということも行われた。カッタイスジとの結婚は、かりに当人同士・当家同士のあいだで合意があったとしても、その親類からすさまじい圧力があり、それに抵抗することは普通の農家には到底できないことだった。それゆえ、発症した場合には人目に触れないようにしたり、家から離れたり、あるいは土蔵の中で人知れず治療させているといううわさもあった。

カッタイスジほど劇烈ではないが、差別の対象となったのがローガイスジ、すなわち肺病である。これも結婚の時には差別された。しかし、肺結核になったからといっても家から追い出されるわけではなく、家やその周辺で家族から隔離されて高額な治療を受けていた。カッタイスジと同じくらい激しい差別にあったのが、キチガイスジ、テンカンスジであった。精神障害の「アホスジ」も同様であった。これは、家に閉じ込めて外に出さないという拘束をした場合もあった。

これは昭和戦前期の話だが、夫婦のどちらかが精神病になると、その結婚が解消されるケースが、王子脳病院の症例誌にも頻繁に起きている。このことは、もちろん優生学的な関心に基づいている。それとともに、公立・公費の精神病院などの公的な空間ではなく私的な空間がケアの中心を担っていた時代において、ケアするキャパシティをより多く持っている世帯が患者を引き取るために必要な法的な処置である。こういった要因以外に、江戸時代から続いている家系を守るための仕掛けでもあったということだろうな。そして、そこに精神病が混入した悲劇を描いたのが、三島由紀夫の『天人五衰』なんだ。いや、三島の話はどうでもいいけれども。