芥川龍之介『或阿呆の一生』「路上」

芥川龍之介『或阿呆の一生』「路上」
昭和2年に発表された芥川『或阿呆の一生』に、芥川が精神病院を訪問した記憶の断片を焼き付けたような一文がある。狂人たちはみな鼠色の着物を着ていて、そのために部屋はいっそう憂鬱になっている。一人はオルガンに向かって熱心に讃美歌を弾き、一人は部屋の真ん中で跳び跳ねるように踊っている。彼らは特有の臭いがし、精神を病んで死んだ芥川の母親の臭いと同じであった。彼の友人の医者が、大きな硝子の壺に浸かった脳髄の標本を見せて、この男は電燈会社の技師で、自分が黒光りのする大きなダイナモだと思っていたという話をした。医者から目をさけるようにガラス窓の外を眺めると、そこには空き瓶の破片を受けた煉瓦塀があった。
この精神病院訪問の主題は、芥川の別の作品にもでているとのこと。その作品は、「路上」というもので、この作品を読むのは初めて。1919年の6月30日から8月8日にわたって「大阪毎日新聞」に連載された小説である。連載が終えられたときには前篇の完了とされ、後篇の登場が予告されていたが、芥川自身はこの作品を失敗だと思っており、後篇は発表されることはなかったし、作品「路上」も単行本化されることはなかった。
主人公とその女性の友人が精神病院を訪問するエピソードが全体の中核にある。主人公は俊助という東大の大学生であり、女性の友人は初子といい、トルストイに陶酔して小説を書いているが、小説の主人公の女性が最後は精神病院(「癲狂院」)で絶命するので、一度精神病院をみておきたいと願っている。主人公の俊助は、友人の医者に頼んで、彼の勤める精神病院を、初子ともう一人の女性の友人である辰子とともに訪れる。医学士の新田は、俊助と二人の女性に、正気と狂気の境界線ははっきりしていないこと、とりわけ天才と狂人の間には全然差別がないこと、これはロンブローゾも指摘していると説明する。そして、ニーチェボードレールなど、精神病にかかった文学者の説明もする。それから、患者をそれぞれの部屋に訪問する。失恋のために発狂した束髪の令嬢が一人部屋でオルガンをひき、冷水治療の装置があり、患者が20人もいる大部屋にもいく。
小説家が作品の素材を得るために精神病院を訪問するのは、もちろん現実にも存在したことで、イングランドではブロンテやディケンズの名前がすぐ上がる。