全体主義下の精神医学

1943年7月1日に、神田区一ツ橋学士会館で、精神厚生会の発会式が挙行された。(精神病者)救治会、精神衛生会、精神病院協会の三協会が発展解消的に合同して作られたものである。小泉厚生大臣をはじめ、政界・医界の名士が200名近く出席し、精神医学の重要性が強調された。一連の祝辞のあと、内村祐之が「時局下における精神医学の任務」と題する講演を行った。全体主義下の精神医学といったときに、これが内村が主として考えていたことだとみなしていいと思う。内村祐之「雑報」『精神神経学雑誌』47(1943), 527.に要約が掲載されている。

内村講演は、当時の日本医学の改革を精神医学につなげ、精神医学の改革を唱えるものであった。個人診療中心の体制から、公医として医師が新しい任務に目覚めた現在、精神医学も新しい精神医学にならねばならない。精神医学も結核問題と工場衛生に進出してきた。今日の国民の士気は健全であり、国民の神経衰弱は現象している。文明の進歩により、航空機がもたらした高度への馴化、南方進出がもたらした熱帯気候馴化などの淘汰が必要になり、これには健康な精神力が必要とされている。産業の合理化にも精神医学は参加するべきであり、低能者には低能者でも可能な適当な職業を選ぶこと、産業衛生でも労務者の欠勤の原因などを調査して錬成指導して、生産能率を高めることを目指すべきである。

心理構成、馴化と適合のための精神力、職業適性の判定と合理的な配置、生産能率など。それぞれ「人口にとっての精神医学」という主題の中で重要である。(結核云々がよくわからないけれども。)そして、たぶん、このブログの読者はすでに気がついていると思うけれども、ここに優生学的断種がないということは、日本の精神医学と優生学的断種の議論をするときに、心に留めておくべきことである。