芥川とプリンツホルンなど



芥川龍之介『歯車』
芥川の短い生涯の最晩年の作品である『歯車』を読む。精神医学の歴史の研究で昭和戦前期の患者の症例誌をたくさん読むようになって、芥川の後期の作品、特に『歯車』について、ある側面がよく分かるようになったと思う。逆に言うと、芥川の『歯車』を読むと、時として簡潔に省略されている症例誌の記述に肉付けして理解できるというのだろうか。

晩年の芥川の人生は、精神病と精神医学の影と交錯するものだった。彼は、精神病と精神医学を恐れる一方で、それとの出会いを不可避のものだと諦めながら、生活に現れる両者に病理的な凝視を注いでいた。彼に取り憑いた精神医学の思想は、その根源においては、遺伝説であったと考えると整理しやすい。自分の母親が自分を出産した直後から精神病となって治らなかったことを知って、芥川はその思いに捕われて、自分が精神病になるのではないかという不安とともに生きるようになる。彼は『歯車』でも自らを「気違いの息子」と呼び、『点鬼簿』は「僕の母は狂人だった」と始められている。そして、彼の周りには、「狂人の娘」もおり、彼は夢の中でこの人物が、ミイラに近い裸体になって横たわっている姿を見る。あたかも、この世界に生きる者たちは、遺伝する精神病の影であるかのように見えるのである。

一方、彼の心理世界も、精神病の症状の断片が浮かんでは消えていく。表題の「歯車」は、彼が見るようになったある種の幻覚を指しており、<視野のうちに絶えず回っている半透明の歯車、次第に数を殖やし視野をふさいでしまい、しばらくすると消え失せるが頭痛が残る>という現象である。この歯車が現れては消えて、頭痛が残る。また、通りがかりの人物の話声を何気なく聞き、それが妙に意味を持つように感じているうちに、その意味を明らかにするような事件が起きるという、予兆体験が異なる主題のもと、繰り返し起きるようになる。

一番重要なことは、精神医学も、この世界の構図の中に組み込まれていたことである。この部分は、まだうまく表現できないけれども、基本は、ハッキングのループ構造の拡大版のようなことを考えているのだろうと自分で思う。あるいは、それよりもつまらないが、<生活の精神医学化>のような話なのかもしれない。簡単にいうと、精神医学と出会う機会が増えたのである。たとえば、芥川は斎藤茂吉の青山脳病院に行く。そうすると、斎藤茂吉の歌集『赤光』はいうまでもなく、ただの<赤い光>も精神医学・精神病を指し示す記号になって芥川の人生を作るようになる。甥は手紙を書いて斎藤茂吉の『赤光』について語り、銀座のバアにはいると不気味な<赤い光>が彼を照らす。それらは芥川にとって精神医学の記号であった。あるいは、丸善の2階で手当たり次第に厚い本を開いてみると、それは<あるドイツ人が集めた精神病者の画集>であり、そこには歯車が人間のように目鼻を持っている絵が描かれていたというのは、歯車との出会いであり、予兆でもあり、精神医学の記号が日常に現れることでもある。ちなみに、この芥川が手に取った書物は、おそらく、1922年に初版が現れたハンス・プリンツホルンの『精神病者の芸術』であろう。手元に英訳と2008年の資料があったので確認したが、この絵のことだろうと確定できるものは見当たらなかった。私が見た範囲で、芥川の記述に一番近いのは、有名な患者である ヨハン・クノップフの次の作品である。

もう一つ、彼が常に人にも見られていた。銀座を歩いていると、見知らぬ人物がやってきて「芥川先生でしょう」と言われる。バアに入ると人々の視線を背中に感じる。これを<それは実際電波のように僕の身体にこたへるものだった。彼らは確かに僕の名を知り、僕の噂をしているらしかった>、ここで電波という概念を使っているのが面白い。プリンツホルン・コレクションにも、電波が実体的に描かれているものがあるので、添えておいた。