井村恒郎「戦争下の異常心理」

井村恒郎「戦争下の異常心理―戦争神経症を中心として」井村恒郎編『異常心理学講座5 社会心理学』(東京:みすず書房、1965), 351-397.
古典的な論文の一つ。第二次世界大戦を中心に各国の戦争神経症についての研究から洞察を集めてまとめたもの。戦後の日本は軍隊を持つことを止め、戦争も戦争神経症も日本人の患者がかかることはないという前提が存在しているから、「戦争神経症」そのものではなく、それを代替したものについて議論される。一方で、15年戦争の兵士が実際に経験した戦争神経症は、当時の日本社会と軍隊についての寓話的な意味を帯びるようになる。

問題となるのはここでもH/N比の計算である。戦争中に神経質・神経衰弱の患者の数(N)が減少し、ヒステリー・心因性反応の患者の数(H)が増えたということである。神経質は、主観的な自覚症状に苦しむ内面型の疾患であり、これは余裕のない生活となると減少する。その「余裕」というのが、具体的に何を意味するのかは詳しくは書いていないが、井村は経済的な余裕というより、空想や反省などに時間を過ごすことができることを意味している。余裕のない生活を「素朴さ」というとしたら、神経質に対する森田療法作業療法の部分は、神経質になった都市の知識人のような人々の生活が欠けている素朴さを取り戻させることである。しかし、神経質は西洋型個人主義(と言われるもの)から直線的に生まれるものではなく、そこには「恥」という封建的なものもあるが、これは、家族の中におけるものである(ここの議論は良く分からない)。

戦争中においては、団結が叫ばれ、大家族主義のイメージが流され、個人主義的傾向は排除され、連帯意識が作られた。これは本当の連帯ではなく、人間に対する不信とファシズム的な破壊行動に駆り立てるものであるが、ともかく連帯感によって内面型の神経症の発現が抑えられた。のみならず、この種の神経症の心底の抑圧されていた破壊的な傾向を解放し、症状を消す効果さえあった。これは、軍隊生活の中にあらわな形で見出すことができる。しかし、ヒステリーにおいては、演示型・逃避型の神経症であり、権威者の自分に対する関心や同情や庇護を予期し、その面前では症状は誇張される。内面型の神経症を減少させる社会環境は、衣食住の制限にせよ自主性を抹殺する偽りの連帯性の強調にせよ、逃避と演示に傾く神経症を増すだろう。そのためH/N比は増加していく。そして、この方向は、文化史的な<逆行>を示唆するものである。

重要なポイントがいくつか。家族主義と個人主義という装置で、戦争神経症を捉えようとしていること。元患者に「ニセの連帯主義の時代の、演示と逃避の結果の病気ですね」とは言わなかったと思うけれども。もう一つは戦争中のファシズム期を、日本の文明化の過程における例外的な逆行の時期とみていること。