トマス・プラッターが遭遇したペスト

トマス・プラッター『放浪学生プラッターの手記―スイスのルネサンス人』阿部謹也訳(東京:平凡社、1985)
トマス・プラッターは16世紀に職人をしながら放浪学生であった人物で、その息子フェリックスはバーゼル大学の教授で著名な医師であった。トマス・プラッターの自伝的な手記は、平凡社の「新しい社会史」の看板シリーズに収録されて、当時も読んだと思うけれども、残念なことに当時の印象はあまり記憶に残っていない。

この中に、ペストの流行に際して、ある医者がペストに罹ってしまい、どのような目に遭って死んでいったのかということが詳しくヴィヴィッドに論じられている箇所がある。ペストは当時から感染すると信じられており、その病気が社会関係を切り裂く様子は痛々しい。見知らぬもののペストはもちろん、地域共同体から家族にいたるまで、ペストは患者を残酷な仕方で孤立させ、心理的に追い込まれた状況を作り出す。

当時プラッターは、エピファニウスなる高名な医者の家に召使いとして住んでいたが、まずはプラッターの子供がペストにかかって死に、次にはエピファニウスの妻がペストにかかった。それに対して、エピファニウスは酒をあおるほど飲み続け、後に自分もペストにかかった。司教もペストを逃れるために別の町に行っており、医者は司教に逢うために馬でその町に向かうが、この途上でも酒を飲み続けたので、酒を飲んで落馬しながらのことであった。司教の家でもエピファニウスは体の具合が悪く、ベッドの中で大便をもらした。プラッターはその大便をワインで拭取ってすぐには分からないようにしたが、医者のペストは司教に見抜かれて、すぐに館を追い出された。小さな町をひとめぐりしてみたが、誰もエピファニウスを引き取ってくれなかった。医師は自分の家に戻って妻を連れてきてくれというのでプラッターが向かうと、妻は、夫は自分が苦しんでいるときに逃げ出したいかさま男だから会いに行かないという。司教はペスト患者に触れたということでプラッターが街に入ることを禁じた。結局、エピファニウスはペストで死に、プラッターは彼の実験ノートを貴重なものとして受け取った。

貴重な手記ということだけあって、ある地域にペストがやってきたときの、苛烈な社会の状況が浮き彫りになる。ボッカッチョも書いているけれども、家族の中でも見捨てることがあったというのは本当なのかと改めて実感した。それから、医者のエピファニウスが飲酒に走ったことも興味深い。彼が習慣的・末期的なアル中だったのかもしれないが、これは道徳と規律が個人においても崩壊したことを意味するのだろう。